高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

まただ!

 昨日のこと。義父母が真夏に使っていた冬物の寝具。それを見つけて義妹がクリーニング店に持って行っていた大量の冬物寝具。今週末には気温が急激に下がる予報なので、私が代わりに取りに行った。普通車の後ろの座席を倒して詰め込んでも収まらず、助手席にまで積まなければ入りきれないような、それはそれはすごい量。これを全部着ていたわけではないだろうが、少しでも家に残っていたら、また使ってしまうと恐れたのだろう。家じゅうの冬物寝具をクリーニング店に出していたのに違いない。

 その洗濯物を義父母に届けた時は、”あらぁ、大変だったね!”とごく普通の感じ。午前中のうちに美容院に行ったらしく、義母はむしろ気分も良さそうだった。昨日は自分で車を運転せず、ちゃんとタクシーを使って美容院に行ったというので、”タクシーを使って下さって良かった!安心しました。今度は私が送迎するから遠慮なく言ってくださいね”と言う私に”わかった!そうさせてもらうね!”との返事。”週末、寒くなるらしいので、風邪ひかないよう気を付けましょう”と別れた。始終笑顔で、普通に話をしたので、まさかその数時間後にこんなことがあるとは信じられない思いがした。

 夫が帰宅してからのこと。義母が夫を呼び出した。私が怒っているみたいだけど、何か気に障ることを言っただろうかと気にしていたと言う。え!!また⁈どして⁈昼間の会話を振り返る。洗濯物を受け渡し、車を運転しなかったことを褒め、週末の天気の話題をして…そう言えば…。義母が、義父がけちん坊だという話をしていた。多分あれだけ大量のクリーニング、高かっただろうと義父が心配したことで始まった話だったと思う。私がたくさん自腹を切ったのではないかと心配してくださったのだと思う。実際クリーニングを預けたのは義妹なのだけど…。義父の母親はとても太っ腹だったけれど、父親の方はしまり屋だったからかもしれないというような話を義母がしたので、義父の援護射撃のつもりで、私も”けちん坊”の部類だと話したかもしれない。それ?もしかしたら、私が太っ腹であることを尊重する義母を否定したと捉えたのだろうか…

背中を押す工夫

 慣れないことに取り組めるようにするにはどうしたらよいのだろう。ふと、病院の受診を忘れないでいてもらうためにカレンダーに前もって書き込んでおくと、”今日は病院の日だったね”とすんなりと予定を受け入れてもらえていることに気が付いた。少し前に提案して、了解が得られたら、カレンダーに書き込んでみよう。

 ”この日、私の予定も空いているから、一緒に散歩でドラッグストアに行ってみませんか?”と誘うと、”いいよ!何も予定がないから”と快諾。すかさずカレンダーに予定を入れる。そして、その当日。珍しく朝早くから我家の玄関に義母。お店が開く時間より2時間も早い。もう出かけようというのかと思ったら、”今日は行けなくなった”と義母。

”昨日の疲れが残っていて、散歩はやめておく”とのこと。残念。

 また誘ってみよう。工夫が足りないのかもしれない。いや、たまたま本当に今日は疲れているのかもしれないので、もう一度同じ方法で誘ってみよう。何度もやって、それでもダメだったら、工夫が足りないのだ。工夫が足りなかったら、もっともっと工夫を凝らす。”めげずに、何度でも、工夫を凝らす”が私の目標。ゲーム感覚でやれば楽しくなるだろうか、攻略本を作るつもりで取り組むとしよう。

認知症の方の意欲を後押ししたい

 お薬を処方していただき飲むようになって、極端なイライラ、カリカリは落ち着いているように見受けられる。主治医には、”お薬も大事だけど、それよりずっと大事なのは毎日の散歩だよ”と言われたことは、義母も覚えている様子。けれどどうも、その散歩にこぎつけない。”車はやめようね”と主治医にも言われたので、買物には歩いて行こうと宣言した義母。徒歩15分のところに、食料品も扱っているドラッグストアがあり、そこなら軽い散歩にちょうど良い。交通量も多くなく、経路もシンプル。何よりただの散歩でなく食料品の買い出しもできるのでモティベーションにも最適だと思われた。しかし、それがうまくいかない。

 当初、夫が仕事から帰って車で買い出しに同伴するのが、2人の関係性を作るのに最良だと思われたが、義母は夫と買物に行くと彼を待たせてしまうと気兼ねしたのか、もう一緒に行くのは嫌だと言い出した。”一人で歩いてドラッグストアに行くから結構”と言ったそうだ。散歩で買物に行くならば、それはそれで良いなと思っていた。歩きで買物に行くと重い荷物を持つのが大変だと思い、ゴロゴロ転がせるショッピングカートを差し入れた。夫も最近は歩いてドラッグストアに行っているものと信じていた。

 ところが、今朝のこと。工事の車が来るので義母の車を移動させようとした夫に”車の移動なら私がしておくよ”と義母。”近くの買物には車で行っているから大丈夫!”と言ったそうだ。ビックリ!”車の運転をするのは駄目だったよね”という夫に”近くなら大丈夫だよ”と義母。車は、いつもは、わが家の側からは見えないところに置いてあるので車を使っていたことに、全く気付かなかった。

 確かに、何十年も車の運転をしてきた義母、まだまだできるという自信があるのだろう。記憶力には自信がなくても、ほんの近くまでの買物なら…と思う気持ちもわからないではない。

 私の父が物忘れを始めた時は、すぐに(診断も待たずに)、母と相談して車を弟に持って行かせて取り上げた私だった。が、義母となるとそうもいかず…夫には車の鍵を預かったほうが良いんじゃない?車を売った方が良いかもね?と提案してはみるが、私にできるのはそこまで。本当はもっと踏み込まなくてはいけないのだろうけど。

 かわりに、根気強く散歩を勧めなければと思う。何度か一緒に行こうと誘ってはみたが、”今日は買物がない”とか”疲れている”とか”忙しい”とか、なかなかうまくいかない。

長距離の散歩の前に、近くのジムのトレッドミルで歩いたりスピンバイクで自転車こぎをして自信をつけてもらおうと思って誘うが、これもうまくいかない。30年位前には、同じジムでスイミングをしていた義母なので、水中ウォーキングに誘ってもみるが、この提案にも乗ってもらえない。何しろ今の生活の一部になっていないものは、きっと苦手なのだ。根気よく、工夫を凝らしながら背中を押すのが、きっと私の仕事。

 

子供が不調の時の不安や悲しみの処理

 友人に、子供が不調の時の不安や悲しみ、どうやって処理してたのと聞かれて、少し困ってしまった。苦しかったことは勿論、とてもよく覚えている。そんなに遠い昔でもない。胸が張り裂けそうで、何も手につかなくて、私は仕事も辞めたのだった。しかし具体的に何をして自分を元気づけていたか、よく思い出せない。多分、人間というのはうまくできているのだと思う。困難を体験しても後に覚えているのは、卒業式の日に、カリカリした私に「それだけガミガミ言ったら、すっきりしたでしょう?」と笑ったみゆきの笑顔だったり、摂食障害で、ガリガリに瘦せてしまっていたみゆきが、タイ料理店で、トムヤムヌードルをぺろりと平らげて驚いたこととか、良い記憶の方が多いのだ。

 友人のために、昔の記録を紐解くと、悶々とみゆきが起きてくるのを待つ間私がやっていたのは、解決策を探すために専門書を読み漁ること、そして同じ悩みを抱えた方々のブログを読みふけることだったようだ。良い音楽を聴くのは、とてもリラクシングで心地いいものだ。今だと、そう思えるが、当時は音楽を楽しもうなどという気持ちには到底ならなかった。昔から読書は私の人生で一番大切なものだと思ってきたが、医学の専門書以外の読書も、当時全くできなかった。運動もしかり。体を動かせば、きっと気晴らしできたはずだが、そもそも運動したいという気持ちになれなかった。

 気心知れた友人には、悩みを聞いてもらった。本当にありがたく、今でも感謝に堪えない。しかしそれですっかり心が軽くなったかというと、その時の喉のつかえは、一瞬取れるものの、家に帰るとまたズシリと心が重くなった。きっとそんなものなのだ。結局、周りの者には、ほんのわずかな時間、喉のつかえを取ってあげることしかできない。一緒に考え、悩み、共感して、後は”早く痛みがなくなりますように”と祈ることしかできない。でもたとえ一瞬でも痛みを取ってもらうことで、私は壊れずに済んだのだと、改めて痛感する。当時支えてくれた友人たちに改めて感謝。そして今度は私がお返しをする番だ。

友人の起立性調節障害の娘さんのこと

 子供たちが小学生の頃、登校班にいたアメリカ人の女の子キャサリン。みゆきが小学1年生、キャサリンが4年生の時に出会った。彼女は一年前にイタリアから越してきて、まだ日本語が苦手な時期。みゆきは3歳から英語教室に通っていたので、ごく自然に英語と日本語を使って友達になった。いつからか宿題が大変だという彼女を我家に誘って、放課後の時間は我家で過ごすことが常となった。みゆきの2歳年下の弟は、ボシーな姉と違って、とても優しくアクティブなキャサリンが大好きだった。キャサリンは小学校を卒業する直前にアメリカに帰国してしまったが、14歳になってからは、夏休みには一人で我家に帰省するのがお決まりだった。さすがに大学を卒業してからは、忙しくなかなか来日できなくなってしまったが、大人の兄弟姉妹のような頻度で連絡は取りあっているようだ。

 前置きが長くなってしまったが、その私たちにとっては家族同然のキャサリンが6年生の時に、お小遣い稼ぎにベビーシッターをしていた女の子の話。キャサリンと同じマンションに住んでいた、イギリス人とアメリカ人のご両親を持つ女の子。日本生まれの日本育ち。おうちではご両親とは英語で話していたようだが、勿論外では日本語。そんな彼女とそのお母さんとも私たちは親しくしていた。残念なことにその女の子とみゆきたちは年齢差が大きすぎて、キャサリンのように家族のような絆を作ることはできず、年々疎遠になっていた。

 その女の子の話。見た目は美しい金髪の天然ソバージュヘアーに奇麗なグリーンの瞳の彼女。明るくひょうきんな性格で小さい頃からとても可愛かった。しかし、美しい異国人の外見と日本語とのギャップもあり、幼稚園時代から試練の連続。学校にも友人にも馴染めず、自分自身のアイデンティティ形成に苦戦して、小学校高学年になって、起立性調節障害を発症した。高齢でやっと子宝に恵まれた彼女のご両親の心痛は計り知れない。なんとか不登校にならず、いろいろと学校を変えながら、高校3年生までこぎつけた彼女が、最近パニック障害と拒食症に悩んでいると聞いた。

 その彼女のお母様から、「子供が不調の時の不安や悲しみ、どうやって処理してたの?」とのメール。薄れかけていた当時の苦痛が一気に戻ってきた。どう返事をしたらいいのだろう。どうしたら、彼女の苦痛を和らげてあげられるだろう。

認知症初期の料理

 認知症を発症した義母だが、料理は基本的に自分でやっている。4歳年上の義父の分と二人分。ただ、最近疲れやすいので、週に2回、午後から半日デイケアに行っている日の夕食だけは、私が届けている。

 ”できることは、奪わない”のが援助のモットー。ただ、どんなものを料理しているかは、非常に気になる。義母も、義父も痩せてきている感じはないので栄養はしっかりと摂れていると思われる。ただ、どんなものを食べているのか、栄養過多や、偏食になっていないかは気になるところ。けれど、食事時を狙って何を食べているのかを確かめに行くのは、失礼な感じがして、できていない。知るのが怖くもある。

 料理上手な義母、元気な頃はよくちらし寿司や、タコやしめ鯵の入ったキュウリの酢の物をおすそ分けしていただいたり、子供たちが同居していた頃は、サツマイモを細かく棒状に切ってそれを小麦粉でまとめて揚げるおやつをよく作っていただいた。

 最近おすそ分けをいただくことは、めっきり少なくなった。時々いただくのは、金時豆の煮豆。煮豆は時間がかかって大変だと思うが、よく作っておられる様子。切ったりしなくてよいので、料理工程が少なく作りやすいのだろうか。皴なくふっくらと仕上がった甘い義母の煮豆は絶品。今も味が変わらないことを心底嬉しくありがたく、大切に頂きたいと思う。

認知症検査を振り返る

 MMSEは、時間の見当識、場所の見当識、即時想起、注意と計算能力、遅延再生(短期記憶)、言語的能力、図形的能力(空間認知)が問われる検査だというのは、検査結果をうかがうときに説明を受けた。

 

 時間の見当識:-今日は何月何日ですか?とか、

        -今年は何年ですか?

        -何曜日ですか?といったたぐいの質問だと思う

        

        →義母の場合、物忘れが気になり始めたころから非常に苦手

                                「今日はそんなこと、聞かれなかったよ」と母

 

 場所の見当識:病院の場所を尋ねられたと本人が言っていた

 

        →病院の場所は初診の時に、病院の名前と場所を伝えて

         説明はしたが、

         「初めて連れてこられた病院だから、知るわけないよね」

         と義母(実際は来院3回目)

 

 即時想起  :知っている動物をできるだけたくさん言うように言われた、と義母

 

        →犬と猫とサルくらいしか言えなかった、と本人(次の日、「そうだ!

                              干支を思い出せば、12個は言えたはずなのに悔しいわ」と悔やんでい

        る様子。「これが言えたら運転免許、取り上げられずに済んだのに」

        と何度も。やはり免許返納はこたえている様だ。

 

 注意力と計算能力:100から7ずつ引いていく計算をした、と母

  

        →93,86,79までは正解していた。注意力は持続しづらい

 

 短期記憶   :これについては、問題自体覚えていないようだった

 

 言語的能力  :何でも良いから文章を書くように言われた、と母

 

         →「そもそも文章を書くなんてことしないから、一番苦手、

          お嫁さんが優しいから、助かるって書いたと思う」との

          ことだったが、「今日はお嫁さんが連れてきてくれた」と

          書いてあった。優しい、と思われていてほっとしたのに

 

 図形的能力  :五角形が二つ重なり合っている図形と立方体を模写する問題、

         それと時計に10時10分の針を書き込む問題

 

         →ほぼ完璧だと思われたが、立方体のあらぬところに一本線が。

          10時10分は完璧。短針が10を少し過ぎて書かれているのが

          とてもリアル

 

 日常生活はほぼ自立していて、他人から見ると会話も普通な義母なので、免許証返納は、生活が大きく狭められることを思うと、残念でならない。しかし、この結果を見ると、即時想起問題でゆっくり考えればわかる動物の名前を、即時に言えないとか、計算力はあるのに、注意力が持続できないというのは、運転時にハイリスクになることは、なるほど納得できる。

 ドクターからは、受診の度に、お薬よりも何よりも散歩が一番大事だと言われているので翌日、散歩もかねて買物ができる大型ショッピングモールに散歩がてらの買物に誘ってみた。しかし返事は案の定No!「疲れているから今日はやめておくわ」との返事。本人も、昨日は「散歩が大事っておっしゃてたね。明日から歩こう、そして免許証を取り戻そう」と言っていた義母。しかし、何か新しいことを提案して受け入れてもらうのは、とてもハードルが高いというのを痛感する。前回の受診の時にも散歩の重要性を諭されて、歩こうと意気込んでいたのだけれど。結局、今回の受診まで一度も散歩の誘いに乗ってもらえなかった。

 せめて買物の不便だけは減らしたくて、「私は買物しなくちゃならないので、必要なものを買ってきますよ」と言ったら、「いや、必要なものはないわ」と即答。ところが、夫が仕事から帰宅したら「要るものがたくさんあるから買物に行きたい」とのこと。夜になって、夫が買物に連れて行くことに。

 やはり私には遠慮があるのか。しばらくは、夫に夜のスーパーに連れて行ってもらうことにしよう。彼が関わることも大切だと考えようと思う。買物に付き合うことで、義母の様子を正確に把握してもらうこともできる。