高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

自転車の効果、夫婦の葛藤

 仕事が再開して、ひと月あまり。自転車通勤の効果か、今では睡眠導入剤も使っていない様子。「今日は何を食べたの?」と食事を確認すると、「あれとこれと・・・」と列挙するから、食事もしっかり摂れているようだ。「アイスとサクランボと・・・」と言っていた一月前とは明らかに違う。もう一つ明らかに違うのは、どことかで見たワンピースがかわいくて買おうかどうか悩んだ、とか、自転車に乗りやすい運動靴を買おうかと思っているとか、明らかに日々を楽しんでいる様子も感じられる。今週末には、出張撮影のために遠出もするらしい。

 やはり運動から生まれる好循環は、何よりの薬だということを痛感する。

しかし振り返って、体調が究極に悪かった高校時代に、この方法が有効だったかというと、それは定かではない。多少の無理をして、自転車通学をさせていたら、あれほど具合が悪くならなかったのかもしれないと思う気持ちと、いやあの時期は、どう考えても自転車通学など考えられないほど、具合が悪かったから無理だったに違いないという思いが、交錯する。

 みゆきの具合が本当に悪かった高校時代、治療方針を決断するのはいつも、母親である私の役割だった。みゆきには、常に”どうしたいと思っている?”と聞き続けたが、得体の知れない、未知の病気に立ち向かうには、高校生の彼女には正直荷が重かった。「どうしたらいいかわかってたら、こんなに苦しくないよ!」とよく泣いた。もちろん、休学して入院治療をすることにするか、受験をするかを選択したのは、みゆき自身だったが、こまごまとした治療の方針は、私が本を読み漁った知識と、半ば母親の感のようなもので決めてきた。

 闘病のさなかには、そうして私が治療方針を決めていくことが重荷でもあったし、夫が方針を決めてくれないことを不満に思うこともあった。しかし今思うと、夫は非協力的だったわけでも、無関心だったわけでもない。私が、本で読み漁った事実を延々と話すと、いつも真剣に聞いてくれたし、みゆきが、グランダキシンの副作用で動けなくなった時には、自ら病院へ運んでもくれた。それに、怠けているのではないかと高校の担任に呼び出された時も、彼女と私の盾になって担任との話し合いをしてくれた。

 今思うと、彼は”船頭が2人いてはいけない”と考えていたのかもしれない。夫は知らない事実だが、私の両親は、学校へ行きづらかった私の弟のことで始終言い争いをしていて険悪な状態だった時期がある。これは私の弟にとっては勿論、当事者ではなかった私にも何とも居心地の悪い、辛い時期だったことが忘れられない。もしかすると、夫婦関係をこんな険悪な状況にしないために、夫は配慮してくれていたのかもしれないと、7年たった今だから思える。