高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

認知症の始まり

 最初の兆候は、何だっただろう。いつも一緒にいた母の話では、私の父の場合、探し物が目立つようになったことだった。一番最初は、車のカギ。出かけようとする度に、車のカギを探すようになった。当時はまだ車の運転もしていた。父はとても几帳面な人で、退職後に始めた家庭菜園の記録のために、種をまいた時期や、植物の成長記録、日々の天候をとても詳しく記録するような人だった。黒のボールペンで記録するときに見やすいようにと、クリーム色の記録用紙を印刷屋に特注して、それに何年も書き綴った。父の好きな色は、ずっと昔から黄色、オレンジ、黄緑。大事な箇所には、お気に入りの色で線を引く。字はお世辞にも上手とは言えなかったが、とても几帳面に揃った小さな文字で記録し、色鉛筆で重要ポイントに線を引いた父の農作業ノートは、得も言われぬほど美しく、父亡き今となっては、かけがえのない宝になった。そんな人が、車のキーの定位置を作っていなかったとは考えられない。

 義母も探し物をはじめた。物探しが目立つようになったのは,ここ一年くらいだろうか。一番よく探すのは、保険証。いつもは、必ず持ち歩きのバッグの中の、診察券入れポーチに、診察券、お薬手帳とともにキチンと収まっているはずのもの。それが、出かける時のバッグを度々変えるようになり、どこにしまったのか、わからなくなる。最初は、自分で探そうと努力していた節がある。そのうち一日中探すようになり、疲れ果てる。一時たりとも座っていることのなかった働き者の彼女が最近「疲れた」を連発するようになった。義父も毎日毎日、探すのを手伝わされて、疲れてイライラ。そうすると決まって、激しい口喧嘩が始まる。探し物を始めてからの義母は、人が変わったように怒りっぽくなった。最近は、義母だけでなく、義父の方からも、私に「探してほしい」と訴えるようになった。