高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

認知症の始まりの始まり

 あれ?と思ったのは、探し物がきっかけだったと前述したけれど、後になって思うともしかしたらもっと前にも、ちゃんとサインはあったかもしれないと思い当たる。

 義母の場合、探し物を始める1年くらい前のこと。普段は料理をしていて怪我や火傷をすることはほとんどなかった義母が、火傷をした。それもとても大きい火傷。大鍋で揚げ物をしていて油を被ったというのだ。どのようにして火傷をしたのか詳しいことは聞かなかったが、太ももにかなり広い範囲に火傷を負った。本人、きちんと冷やしたから大丈夫だと言い張ったが、けがの範囲が広いので念のために皮膚科を受診するように勧めたのを覚えている。その頃は、診察券や保険証を探すこともなく、一人で近所の皮膚科を受診して、事なきを得た。

 それから、半年後くらいの出来事。「庭の木が大きくなりすぎて気になるので、今度私が切ろうかな」と言うので、「高いところに登るのは危ないので、夫に切ってもらうように言っておくから週末まで待ってね」と言っておいた。そのすぐ直後のこと。私が短時間外出した間に、脚立の上に立って木の剪定を試みた母。外出から帰宅した私を待っていたのは、救急車の赤色灯だった。

 肋骨を4本骨折、腰骨を2ヶ所圧迫骨折、10針縫う頭の傷。それから3ヶ月間入院することになる。2020年7月のこと。新型コロナの感染第3派の感染爆発が起きていた頃。当然、入院患者の面会制限は厳しく、着替えなどの持ち込みも週に1度、職員の方と病院の玄関先で交わさなければならない時期。

 この大怪我が、物忘れの大きな引き金になったのではないかと考えていたが、今思うと、これは引き金というよりも、病気に気づかなかったことで起きた事故だったのかもしれない。他者のアドバイスを聞けない、バランスを保つのが難しい、そんな状況だったのではないかと想像する。