高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

入院中に考えた「老い」について

 私の入院経験は、決して少なくない。1.中学時代に虫垂炎の手術で1週間の入院。

2.結婚前の20代の頃に、乳房にしこりができて腫瘍の切除のために入院。幸い良性の

腫瘍だったので、この時も約1週間の入院。3.やはり20代後半に、虫垂炎の時の手術で

残っていた糸が原因で炎症を起こして、腹壁膿瘍で入院。この時は、腰椎麻酔の後遺症

で激しい頭痛を起こして、3週間ほどの入院になった。4.結婚して帝王切開を2回。そ

れぞれ10日間ほどの入院。5.結婚後、急性腰痛で全く動けなくなって、救急車で運ば

れ1週間の入院。5.50代になって白内障の手術で1週間の入院。6.それから2020年に

は、シェーグレン症候群が発端になって起こる角膜潰瘍で眼科に2度の入院。それぞれ

3週間の長い入院になった。7.そして今回の尿管結石の内視鏡手術での4日間の入院。

 これまでの入院でも、いろいろな経験をし、さまざまなことを感じたが、今回は自分

自身も年を取って、高齢の親がいる今だからこその思いを抱くことになった。まずは、

今までは入院中に大部屋で他の患者さんと同室になっても、その方々のあれこれが気に

なることはさほどなかったが、今回ばかりは違っていた。尿管結石は中高年で発症する

ことが多いらしく、同室の方々は、ほぼ私より年上。かいがいしくお世話をしてくださ

る看護師さん方に、感謝の言葉を忘れず、できるだけ自分でできることは自分でやろう

と自立度の高い患者さんもいれば、何かと言うとナースコールで看護師さんを呼びつけ

て、何でもやってもらおうとする甘え上手な患者さんも多い。それは病気の重症度にも

よるだろうが、どうもその患者さんの生き方を反映しているようでもあった。

 どちらが良いとか悪いとか言うつもりはない。でも、私が高齢になって援助をしてい

ただくようになったら、できれば自立度の高い、感謝の気持ちを忘れない患者でありた

いと思う。そのためには、いつまでも自立が可能な身体能力を維持しておかなくてはい

けない。

 

 手術後の”24時間ベッド上安静”の体験で、初めて痛烈に感じたこともある。点滴を腕

に付けられ、尿管カテーテルを挿入されて、身動きできない苦痛のすさまじさ。それは

筆舌に尽くしがたい。帝王切開の時は、やはり術後に点滴と尿管カテーテルを付けられ

るが、術後できるだけ早くに歩いた方が回復が早いという方針の病院だったので、術後

4時間くらいで、希望してカテーテルを外してもらい自分の足で歩いてトイレに行った

と記憶している。しかし今回は、生理的食塩水で膀胱洗浄を続けなければならないとい

う理由で、カテーテルを外してもらえず、結局規則通り24時間ベッドに縛り付けられた

まま。管につながれているので、寝返りもままならず腰が痛いこと痛いこと。何もでき

ずにただただ時が過ぎるのを待つ時間の長いこと長いこと。ラジオを取っていただき、

ラジオを聴いても聴いても流れない時間は果てしなかった。入院中は、食事がその長い

時間を待つ辛さを和らげてくれると言うが、食事すらその日は全く取れないのだ。何も

していないのだからお腹が空きはしないが、退屈を紛らしてくれるという意味で、食事

は非常に恋しかった。その上、最悪なことに私は抗生剤で激しくおなかを壊す体質。手

術前日には絶食をし、下剤や浣腸で準備をしていたにもかかわらず、トイレに行きたく

て行きたくて、悶々とした。普段は他人様にできるだけわがままを言わない私だが、こ

の時ばかりはカテーテルを外してほしいと、看護師さんにも、執刀医にも懇願し続け

た。だが、無駄だった。「オムツをしていますから、そこにしてください」と一蹴。

しかしオムツにできるわけがない。その後の汚物の片付けを、他人様にしていただくな

んて死んでも嫌だ。

 

 けれど、高齢になったらそんなことは言っていられないのだろうという現実を初めて

痛烈に知らされる機会になった。私の父は、あまり長く寝ることもなく亡くなっので、

そういう経験はしていないと思うが、近しかった大叔母も叔父叔母も、亡くなる前の

2か月余り病院で寝たきりだったので、このとてつもない腰痛と、オムツに排泄をする

屈辱を味わったに違いない。今回の入院は、老いるということはこういうことかと、強

く知らされる機会になった。よく「ピンピンコロリ」でこの世を去りたいという言葉を

聞くが、まさにこのことなのだ。「ピンピンコロリ」を私も目指したいと思う。どうし

たらそうなれるのだろう。まずはその方法を必死で探りたい。