高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

起立性調節障害だった娘の弟のこと

 みゆきの二歳違いの弟。彼が生まれたのは、みゆきが2歳になったばかりの頃。不遇にも姉のイヤイヤ期真っ盛り。おませで自己主張の強い姉に揉まれたおかげで、たくましく育った。幼少期の彼は家の外では、多少シャイなところはあるものの明るくひょうきんな子供だったと記憶している。小さく生まれた姉と違い、標準サイズで生まれたので体格的には他の子と大差なかったが、何しろ3月31日生まれなので、4月生まれの子供達と比べるとハンディが大きいようで、幼稚園や小学校に入学するときはとても心配した。だが、親の心配をよそに”給食と体育の時間が一番好き”と公言するような元気な子に育った。幼少期は、いつも姉について回って、姉が小学校を卒業するまでは、みゆきに守られながら学校生活を送ったように思う。姉が大好きだったピアノと英会話、スイミングに幼稚園時代から共に通った。

 小学校の高学年になって、少年野球チームに入った頃からは姉と同じ遊びを楽しむことはなくなってしまったが、ずっと仲良し姉弟。二人は、親に勧められたわけでもないのに、中学も高校も同じ学校に行った。この歳になると一緒に登校することはさすがになかったが、中学も高校も一年間は同じ学校で過ごしている。高校で姉の方は病気をしたため、大学は芸術系に進み、弟の方は理系の大学へ行くことになった。現在大学院の2年目。来春は社会人一年目を迎える予定。

 

 その彼も、従姉の結婚式に帰って来ていた。当然姉の誘いで、私の母にも会いに行ったし、結婚式の前日の暴風雨の時間は、彼らが小学生の時以来初めて、家族でゲームをして過ごした。思えば彼が小学校の高学年で野球を始めた頃から、こうして家族そろって一緒に何かをするという機会がなかった。野球の試合には、父親が同伴して、みゆきの吹奏楽の大会には私が付き合うことが常だったし、中学生になって以降は、彼が思春期の難しい時期に突入していたこともあって、家族そろっての楽しい時間というのはなかったように思う。

 結婚式の翌日に、みゆきは帰京したが、九州在住の弟の方は電車が不通になって帰るのが2日ほど遅れることに。夫が仕事に行き、本当に珍しく彼と私2人っきりになったときのこと。彼が突然つぶやくように言った一言に、私は打ちのめされた。

 ”僕は多分HSPなんだよね”

 HSP:Highly Sensitive Person 感受性の強い敏感な気質の人

 

 みゆきが、HSPなのは感じていた。ただ、弟の方もそうだったのには、気づけなかった。何ということだろう。幼少期、彼が異様に掃除機の音を嫌がるのは知っていた。だから、掃除は必ず(今でも)彼がいないときにするようにしていた。暴力的な映画が嫌いなのも知っていた。映画はずっと好きでよく観ていることを知っていたので、良い映画に出会う度、彼に紹介しているが、”『この世界の片隅に』もとっても良かったので観てほしいな”と言う私に、”あれ、爆弾で手が無くなる映画でしょ?そういうの、とってもしんどいんだよね” と言うのを聞いて、”あれ?”と思ったことはあった。アニメーション映画で、生々しい場面はないのに、と。なのに気づかなかった。気づけなかった。思えばみゆきの不調に、当時の私はいっぱいいっぱいで彼のことをよく見ていなかったのかもしれない。

 中学時代からだったか、あんなに明るく快活だった彼が、無口になって、一人、部屋に閉じこもることに違和感は感じていた。けれどもそれは、思春期の特徴なのだろうと勝手に思ってしまっていた。確かに大学を卒業して、大学院に行く頃から、帰省するとぽつりぽつりと話をするようになってきていて、就職して社会に出たら少しずつ変わって来るのだろうとお気楽に考えていた。

 改めて思い返してみると、①みゆきの病気の頃、彼女の変化に彼も気づいている様子なのに何も言わず見守っていた②学校で忙しい日が続くと暗い自室でひきこもることがあった③痛みに敏感で、よくお腹を痛がった④カフェインを摂りたがらない⑤極端に明るい光や強い匂いが嫌いで、大きな音にも敏感。ざらざらした触感の果物(梨やスイカ)が苦手⑥美術や音楽を愛す⑦とても良心的⓼人の不快感に敏感でさりげなく不快感を取り除いてあげる⑨一度にたくさんの刺激が入るのを嫌う⑩暴力的なテレビ番組や映画は見ない

すべてが、HSPであることを示唆しているではないか。みゆきがいない時には、できるだけ弟の方を気遣おうとは、常に思ってきたことではある。だが、みゆきは高校時代の長い時間を家で過ごしたので、弟のしんどさを見抜けなかったし、弟への配慮も十分ではなかったに違いない。

 私自身の弟は、6歳年下。幼少期から重い喘息で入退院を繰り返すような人だった。弟が生まれるまでの6年間は一人っ子状態で、一心に親の注目を浴びて育った私でも、両親は弟ばかり構うようで、やるせない思いをしたものだ。それなのに、みゆきの弟にもそんな思いをさせていたことに気づかされ、何とも言えない気分になった。成人した彼に、どのように償ったら良いのだろう。過ぎた時間を取り戻すことはできない。

   "HSPというのは、後天的なものではなく生まれつきらしいから”と付け加えた彼の本音はどこにあったのだろう。”罪の意識を持たなくて良いよ”と言いたかったのか。

 

だけれど、そう言われるとなおのこと切ない。