高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

脳シンチ検査の結果

 脳シンチ検査というのは、脳の血流を画像診断する検査らしい。検査を受けた病院から入院先の病院に、検査結果のデータが送られてから、ドクター説明があると聞いていたので、多少時間がかかることは想像できたが、結局2週間後の説明となった。ちょっと遅すぎるのは、結果が悪かったのではなかろうかとヤキモキしながら待つことになった。説明の日取りが、たまたまお盆の時期に重なったので、普段は仕事の休みを取りにくい弟も休みを取って、同伴してくれることに。母のことで呼び出されるときには、何故か私の体調も悪くなるので、弟が同伴してくれるのは心強い。

 検査の結果は、意外なことに血流に異常はないとのこと。アルツハイマー認知症であれ、レビー小体型認知症であれ、病気の発症前の鬱の段階で、多かれ少なかれ後頭部の血流が悪くなるものだそうで、86歳という年齢になっている段階で、これだけ血流の状態が良いということは、レビーの可能性も含めて認知症ではなかろうという診断。良かった。血液検査の結果が良く、介護認定の結果も既に出た、ということは、退院の話になるだろうと覚悟した瞬間、意外なお話が。母が、骨折をしたとのこと。胸骨と背骨の新しい圧迫骨折が発覚したとのこと。本人の話では、院内で転んだりした事実はないらしいが、何かの拍子に無理な姿勢を取ったのか、バランスを崩したのか、腰が痛いとの訴えを聞いて、MRI検査をしてくださり、骨折が発覚したようだ。

 年を取るというのは、こういうことなのだろう。どこか一つ具合の悪いこと(母の場合は気分の沈み)があったために、入院する。入院したので、運動不足になる。運動不足のせいで、ちょっとしたことで骨折する。骨折したら、もっと運動できない期間が延びる。動けないとせっかく回復しかけた心の状態も、また悪くなる。憎き負のスパイラルが延々と続く事態になるのだ。

 まだ、退院後の施設を探せていなかったので、すぐさま退院とならなかったのは、良かったような、ますます運動ができず、弱くなるのが怖いような。病院の話では、骨折をしたら、要介護になる確率が高くなるので、介護調査の再申請をしてみましょうとのこと。しかし、骨折から1月以上経たないと再申請できなので、入院は予想以上に長くなりそうだ。

 面談の後、母を訪ねて驚いた。圧迫骨折をしているとは説明があったので、コルセットをしていることは覚悟していた。しかしドクターは、「知らない間に圧迫骨折をしていて」と軽い調子で話されたので、まさか寝たきりになっているとは思いもよらなかった。本人、ナースステーションのすぐ横に持ってきたベッドの上に寝せられていて、トイレにも行けない状態になっていた。

 さぞやトイレに自分で行けないことを悲観していると思いきや、2ヶ月ぶりに弟に会えて、予想以上に大喜びをした母が見れたことに、私は心底ほっとした。しかし、朝から晩まで泣きっぱなしの母から、情報をリセットできていなかった弟が、お薬のせいでハイテンションな姿を見て、非常に怖がっている姿が悲しくもあり、可笑しくもあり。

 来週はみゆきが帰省する予定。母を見舞うつもりだ。彼女も、この異常なハイテンションを怖がるのだろうか。泣いているより、ずっと良いと思うのにな。

義母との久しぶりの病院外出

 母を入院先から外部の病院へ検査のために連れて行った次の日は、たまたま義母の物忘れ外来の再受診日。母のために時間を使ったばかりのタイミングなので、義母に時間を使っても後ろめたさはない。かえって、最近義父母のことを義妹に任せっぱなしになっていたので、日頃の感謝を尽くす良い機会。本来ならば義父にも病院へのドライブに付き合っていただいて、同病院で認知症の患者さんのトリセツのレクチャーを受けていただけないかと期待したが、残念。固辞されてしまった。確かに、トリセツを学ぶことも大事だけれど、義母と離れる時間も大切なのは理解できる。なので、無理強いはしないことに。代わりに、義父にはお弁当を用意して、出来る限り長い時間、ストレス解消をしていただくことにする。義父母は滅多に外食をしないので、義母みたいに料理は上手ではないが、目先の変わったものも良いかもしれない。その間、たまには義母も外で美味しいものを食べていただき、こちらもボーナスタイム。

 義母をこの病院へ連れて行く日のお決まりは「いつまで、こんな遠い脳病院に通わなければならないの?」の連呼。確かに、物忘れの自覚のある方に脳外科の受診はしんどいことだろう。屈辱感もあるかもしれない。何十回も同じ質問をされることには慣れている私だが、どう答えるのが本人の気持ちに寄り添えるのか、そのたびに逡巡する。迷いながらも私の頭の体操の時間と捉えて、ゲームのように、できるだけ同じ回答をせず、義母の聞きたそうな回答を探しながら答えてみようと思っている。

-「遠くまで行くのはしんどいですね。でも、お父様と離れる時間は大切だから、ストレス解消のため、ドライブを楽しみましょう」

-「認知症になっては大変なので、お薬は欠かさない方が良いと聞きますから、お薬を取りに行きましょうね」

-「遠いのが大変ですが、とっても良い病院らしいので頑張って通いましょうね」

-「あの病院は植栽がきれいでしたよね。今どんな花が咲いているのか楽しみですね」

-「とっても優しいお医者様でしたよね。有名な方だそうですよ」

-「せっかくだから、今日は美味しいものを食べて帰りましょうね。何が食べたいですか?」

私だったら、どんな答えが嬉しいかしらと想像しながら。

介護調査の結果

 母の介護調査の結果が来た。要支援1。要支援が付いただけでもありがたい、が、せめて要支援2であったなら介護施設を探しやすくなるのに。介護調査は入院先で受けたので、調査時に入院先の病院のケアワーカーさんができるだけ必要以上にしっかりしていること、自立度が高いことを見せないように骨を折ってくださったらしいが、そもそも、母は生真面目でズルのできないタイプの人なので仕方がない。それに調査は厳正でなければならないのは当然。文句は言えないか。

 日頃は日付の分からない、物忘れ症状も強い認知症の患者さんが、介護調査の時に限ってしっかりすると言う話はよく聞いていたが、まさにそれと同じことが起こったようだ。母は認知症でもなさそうだし、鬱の具合も最近良さそうだし。当然と言えば当然の結果かもしれない。調子が良いことを感謝し、甘んじてハードな施設探しを受け入れることにしよう。

 

脳シンチ検査

 母の具合は相変わらず良い。お薬のおかげだと思うが、暗く沈んで物憂げな様子はもう見られない。本来の母よりかなりハイテンションで物凄く饒舌なのが若干違和感あるものの、何かに取りつかれたような恐ろしい感じじゃないのは嬉しい。

 入院先で一通り血液検査や、CT、MRI検査、認知症テストなどをしたようだが、認知機能の低下は見られないので”老人性鬱”という病名になりそうだ。念のため脳の血流を調べるため外部の大きな病院で検査することに。今日がその検査の日だった。

 外出の為、いつもの病衣ではなくお出かけ着を着た母は、ことのほか楽しそうでほっとする。検査なので着脱が容易なように薄い麻の長袖セーターとボタンやジッパーのないズボンを用意して行ったら、「まあ、あなた、私の好み通りの洋服を新調してくれたのね」とご満悦。新調したことにも気が付く鋭さ。この外出のために、数日前から院内で歩く自主トレーニングもしていたらしく、足取りもしっかりしている。先週面会に行った時には、腰が痛いとのことで車いすに乗っていたので、今日は車椅子であちこちしなければならないと覚悟していたのに。

 脳の血流を調べる脳シンチ検査には、放射性の造影剤を使って、一時間余りかかるとのことで、お手洗いのことなども心配で、万一失敗した時のために着替えまで準備したが杞憂だった。ただ、以前入院先で受けた脳のMRI検査がよほど怖かったらしく、検査前に「怖いことしませんよね?」とドクターにも技師さんにも何度も尋ねていたのが子供みたいで笑えた。実際のところ検査は痛くもかゆくもなく、ただ造影剤を使うので注射がクリアできればあとはじっと1時間余り寝ているだけ。本人、寝落ちしてしまいそうだったと笑っていた。トイレの失敗もなくセーフ。

 検査外出から戻るタイミングが、どうしても病院の昼食には間に合わない時間なので、外で食べることになる。病状が悪ければ母を連れての外食はしんどいので、一応サンドイッチを持参した。海を眺めるような眺望の良い公園などで食べられれば最高だが、この酷暑。最悪車内で食べればいいか、と考えていた。だが、今日は母の調子があまりに良いので、私の作ったおいしくないサンドイッチよりも、プロの作った美味しいものを食べてもらいたくて、近隣のカフェで食べることに。たまたま評判の良いおしゃれなベイカリーでイートインできそうなので、そこに飛び込んだら、ラッキーなことにお客の少ない時間帯だった。母が入院してからずっと食べたかったというサンドイッチと焼きたてのピザにありつけた。病院でもそうだったが、ベイカリーでもしべりっぱなしの母。調子は悪そうではないが、話の中心は始終自分のことなのが不思議だ。しばらく会っていないはずの弟家族のことや、孫のこと私の義父母のことを聞くことは全くない。当然先日亡くなった伯父の話にもならなかった。そこに触れられず、ほっとしたような、あまりに自分本位なのが、少し寂しいような。本来自分が、自分が…という人ではないだけに、悲しくもある。

 検査の結果は明日、入院先の病院の方へ送られるとのこと。そのあと私たちには説明があるのだろうと思われる。結果が悪くないことを祈るばかり。慣れない外出をして、さんざんおしゃべりをしたので、母も疲れたはずだ。どうか、具合が悪くなりませんように。

 

鬱の人に告げる真実

 母の2つ年上の兄が急逝した。母は未だ鬱の治療のため入院中。葬儀に行かないまでも、訃報は伝えるべきだろう。伯父は隣県に暮らしていて、昨年、末期の大腸癌という診断でしばらく入院したのち自宅療養をしていた。その自宅療養の期間に母も見舞いに行って、しばらく看病もしてきたので、伯父のその後の体調は、気にしていたはずだ。

 ごく最近親戚から入った情報では自宅療養も順調で、来週から近隣のグループホームに入所すると聞いていた。連れ合いも高齢なので、長期にわたる介護は大変だろうと案じていたので施設に入ると聞いて安心していた。

 ところが、脳梗塞を起こしたとかで入院、そのまま帰らぬ人になってしまったという知らせだった。苦しむ期間がごくわずかだったのは幸いだった。ただ、入院中の母にどう伝えたらいいものか。もしかすると本人が入院する事態になった時点で、もう兄弟とは会えないだろうと、覚悟していたかもしれない。しかし、鬱の人の心の内は測りがたい。知らせるべきか、知らせない方が良いのか。弟に相談すると「知らせないわけにはいかないでしょう。今回は入院中でコロナの罹患者も急増しているからお葬式には行けないけれど、退院したらお参りに行こうね」と伝えるのが良いのじゃない?という意見。確かにそうだ。ただ、本当にそれで良いのか。迷った挙句、入院先の主治医に相談することに。すると「私だったら鬱で入院中の親に、近親者の訃報は伝えないと思います。最近調子が上向いているとはいえ、大きなショックで後戻りしかねない。そうなると、回復に以前より長い期間が必要になると思う。」というご意見。

 主治医とは治療方針をお聞かせいただく面談で、1月ほど前に一度お会いしただけだったが、「私だったら~」という言い方が良い。上から目線というのではなく、あくまでも自身が患者家族だったらと言う言い方は、実にしっくりきた。嘘をつくわけではなくても、真実を言わないのはしんどい。後になって、どのように伝えて良いのかも見当がつかない。しかし、やはり今回は知らせないことにしよう。伯父もきっと母の回復を祈っていたはずだから。

義母の心温まる面白話

 梅雨の長雨が続き、何となくけだるそうにしていた義母だが、梅雨明け宣言こそないものの一転晴れの日が続いて調子が良さそうだ。猛暑の中でも花の水やりに余念がない。「熱中症には気を付けましょうね。お水を頻繁に飲んだり、冷房の中で休憩もしましょう」と再三声をかけるが、聞く耳を持たない。これだけ暑い中、外仕事を出来るということは、本当に体力のある人なのだ。

 その義母が、「ちょっとうちに来て!」と悩ましい顔で声をかけて来たので、何事かと飛んで行ったら、冷蔵庫の野菜室の前で立ち尽くす母。何と、野菜室がバナナでいっぱい!!!!!大げさではなく、本当にホントに、ぎちぎちにバナナで埋め尽くされている。その上、「誰がこんなにバナナ持って来たんだ⁈」と義母。「いやいや、誰も差し入れしてないので、お母様が買われたのだと思いますが」の言葉を飲み込んだ。買物に毎回同伴する夫に聞くと、「毎週必ずバナナを1房買っている」とのこと。え?たとえ一週間食べるのを忘れたとしても、また次の週に補充するときに気づくのでは?と思うが、どうしてこんなにも溜まってしまったのだろう?「全部持って行ってちょうだい」と言われても…笑。バナナケーキを大量に作り、冷凍バナナやスムージーやバナナジュースなんかを作ってみても、使っても使っても無くならないバナナ。すごい!!!!!

 バナナの処理に大笑いしながら、ふと友人の話を思い出した。友人は私と同年代。息子さんが大学生の頃、久々に帰省した時のこと。冷たい飲み物を取ろうと自宅の冷蔵庫を開けたのに、絶句して何も取らずにそっと冷蔵庫の扉を閉めた、という話。実は、庫内が豆腐でいっぱいだったのを見て、母親が認知症になったのではないかと驚いたらしい。実は、豆腐をいつもよりちょっと多く買った同じ日に、たまたまご親戚から有名なお豆腐セットのお中元が届いたという落ち。その話を聞いて、友人と大笑いしたことがあった。私もいつか子供たちが帰省したらそんな悪戯してみよう、なんて思った記憶がある。今そんな悪戯をしたら、しゃれにもならないだろうから、できないな…。

 バナナ事件で大笑いできる幸せ。

 

 

介護調査

 母の介護調査が行われた。調子が上向きだったので、もしかして介護度が実情以下に評価されるのではないかと心配だった。案の定、調査が入った次の日の調査員の方からのお電話で、「お母様、介護が必要なようには全く見えませんでした。認知機能も高く、運動機能も援助が必要だとは見受けられず、認定が出ないかもしれません」とのこと。やっぱりだ。快方に向かっているのは本当に嬉しく、ありがたいことだが、認定が出ないと退院後の施設を探すハードルが上がってしまう。双六で例えるとなんとかかんとか苦労して中間地点までたどり着いたのに、振り出しに戻ってしまった気分。

 病院のケアワーカーさんの話では、調子が良くなっているとはいえ、認定結果が来るまでは病院で治療を継続してくださるとのことなので、あと1~2か月猶予がある。その間に、手を尽くして快適な母の居場所を探したいと思う。