高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

実子が同伴した成果

 夫と言い争って、義両親の病院への同伴を私ばかりに任せないでほしいと伝えた手前、すぐに同伴をお願いするのも気が引けた。なので、直後の義母の眼科には私が一度同伴し、次の義父の皮膚科同伴は「私は行けないので、誰か行って下さい」とお願いした。いけない理由はない。本当のところ「行けない」ではなく「行かない」なのだけど、それでは角が立つので、理由は言わず「行けない」とした。そしたら、義妹が同伴してくれることになった。農繁期にこうして時間を取ってもらうことを申し訳なく思う気持ちもある。でも、そんなことを言っていては私はずっとモヤモヤを抱え続けることになる。ここはためらわないことにした。

 義父の通う皮膚科は、本来家から車で30分の大学病院。基本、義父はとても健康で頑丈な人だが、70代になった頃に尋常性乾癬を発症し、以降大学病院で治療してきた。私と同じく免疫疾患で生物学的製剤で治療しているので、病気のことを理解できる私が付き添うのが一番合理的であることは承知している。しかし、私より近親者の夫や義妹が義父の病気の名前すら覚えていないこと、どんな病気か調べてみたこともないことに私はずっとモヤモヤしてきた。義父も86歳と高齢になったことで、生物学的製剤の副作用の間質性肺炎の具合が悪くなってきて、3ヶ月ほど前から注射を止めて、軟膏と光線治療に切り替え、今まで同様大学病院で様子を見てもらってきた。しかし軟膏と光線治療なら近隣の皮膚科でできるということで大学のドクターの勧めで、実は今回から近隣の個人病院に転院するというタイミング。この近隣の皮膚科、歩いて10分。自立心の高い義父は当然のことながら一人で通院すると言い張る。しかし、義父は極度の難聴。初回だけは治療方針など話し合いたいからと無理やり義妹に同伴してもらうことを納得してもらった。

 この義妹の同伴で、彼女は義父の発疹だらけの体を初めて見て衝撃を受けたようだった。話には聞いていても、百聞は一見に如かず。それに加えて思わぬ副産物があった。義父が認知症の義母との生活の様子をつぶさに語ったらしいのだ。義父は早朝5時に起床するのに、義母の方は8時過ぎに起きてきて朝食は9時、10時になってしまうこと。当然昼食は遅くなる。昼食を食べないことも多々あるらしい。夕食は大抵は作るが、ご飯だけだったり、ご飯を炊き忘れて、おかずだけだったり、おかずが単品だけということもままあるらしい。義父が銀行で下ろしてきた現金は義母があちこちにしまってしまって行方不明になることが多発。外出の度に家探ししなくてはならない。「やってられないよ」と本音も飛び出したらしい。

 食事が時間通りでないことは気づいていたが、抜いてしまうことがあることは私も知らなかった。気を付けて、何かにつけて様子を見には行くが、監視されていると義母が思わない程度にしなければと考えていた。ショックでもあった。義母に嫌がられても、もっと頻繁に差し入れをしようか。そう思う反面、私が自主的に動くのはどうかな、という気持ちがなくもない。義妹にはもっと頻繁に差し入れを持って様子を見に来てほしいし、昼食ができるデイケア施設を義父、義母二人ともに探すという解決策があっても良いとも思う。先ずは、実子たちがどういう方針を立てるのかを、私は待つことにしたいと思う。当然時々の差し入れをしながら。