高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

高校卒業まで

 結局3校受けた私立大学のうち、合格したのはアート&デザインの大学1校だった。合格しなかった2校については、本人何も言及せず、心は合格したその大学に向いている。「学費が、他の学校より高いけれどぜひ学びたい」と父親に懇願する。

 受験一人旅という、私たち両親が課した自立のための試験に合格はした。しかし2年間の苦しい闘病を見てきた身として、本当に東京に単身送り出して良いものかという疑問は残る。旅行から帰宅後も数日寝込んだ彼女。完全に病気が治ったわけでは決してない。

 しかし私たちは考える。受験勉強の過酷さで体を壊した彼女に、これ以上の受験勉強を強いるのは、後戻りになるのではないか。本当に良い大学とは、偏差値の高い学校のことなのだろうか?彼女の興味に合った大学の方こそ、良い大学なのではないか。体力のない彼女にとっては、いち早く専門的な勉強ができる方が、楽しいだろうし、生きていくうえでもプラスになるのではないか。復調しないままの受験だったが、目的意識を持つことこそが、彼女の復調を助けているのではないか。

 もし、一人での大学生活がうまくいかなければ、いつでも帰って来たら良い。やり直しは、いつでも何度でもできる。「今はやる気の芽を摘むことをしたくない」というのが、私たち家族の結論だった。結論を出してから、卒業式まではあっという間だった。入学準備の期間は、これまでの苦しく、長く、重く、暗い日々を忘れてしまいそうなほど、楽しく、あっという間で、心弾む日々になった。

 

 「夜明けの来ない、夜はない」って昔誰かが歌っていったっけ。