高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

ただのありふれたお皿

 義母の「編み棒を私に盗られた」発言に少なからず凹んでいる私。でも、気分が悪いから「少しブレイク」と距離を置いてしまうと、もっと関係がこじれてしまうことは経験済み。なので、昨日腹いせに一人で食べてしまうはずのリンゴ飴を、老人が食べても歯を悪くしないくらい小さく小さく切って、おすそ分けすることに。こうしておすそ分けするときに使うのは、何かの景品で貰ったような、たとえ無くなっても悔いのないお皿と決めている。で、持って行った時のこと。「あらぁ!私の大事にしていたお皿、あなたのところにあったのね⁈」ときた。「それ、昔お友達と唐津の陶器市で買ってきた記念の品なのよ。あって良かったわ」目が点‼

 「いや、これは馴染の電気屋さんが数年前に粗品でくれたもの」という言葉をぐっと飲みこんだ。無くなっても惜しくないからこのお皿を使っているんだし、ま、いいか。と思いつつも何かひっかかる。なけなしの私の大好きなリンゴ飴には全く興味を示さないところに、なおのこと心折れる。

 こんなときには深呼吸して、黙っているのがいいのかな?それとも私自身の精神衛生のために、ちゃんと「それは私のお皿です」と言った方がスッキリするのだろうか?認知症の方は否定されるのが苦手と聞くから、言い返さないのが正解なのだろう。でも、「このお皿が気に入ったのならあげるわ」と言われ、ダブルパンチ。本当に失くしても良いと思っている、ただのお皿なのにこうも心がかき乱されるとは。自分自身の小ささにますます凹んでしまう。もうやけ食いするはずのリンゴ飴は手元にない。