高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

介護をする側の病気

 みゆきの病気をきっかけにフルタイムの仕事を辞めて、非常勤の仕事をしている私。義父母の身近な家族の中で、私が一番時間に余裕があるので必然的に私が二人のメインの介護人。時間もあるし、これまでの恩返しにもなるしと、そのことを不満に思ったことはまだない。ただ、私自身も関節リウマチやシェーグレン症候群の持病を持ち、リウマチ科や眼科など定期的に病院に通っている身。自分自身を入れて3人分の病院受診の予定を組むのは難しい。どうしてもほかの誰かの応援をもらいたい場面が出てくる。「この日、病院の同伴をお願いできないかしら?」の打診に、義妹や夫から「忙しくて無理だわ」という返事が来ることがあって小さなストレスが溜まっていた私。

 案の定、2か月ほど前に私自身、尿管結石を発症した。尿管結石の痛みは良く言う、三大激痛の一つ。尿管に詰まった石のせいで、下腹部と背中の激痛で一睡もできない。すぐに病院は受診したが、病院の都合で手術は1か月後。その間、尿管が閉塞しないようにステントを入れ、強い痛み止めでしのぐ生活。ステントを入れると、尿管は閉塞しないが、ステントが膀胱や尿管を刺激して、常に痛いし、尿意切迫感まである。日に何十回もトイレを往復し、夜中も一時間おきに起きなければならない毎日。疲弊がひどかった。動くと痛みが増すので、運動したり散歩したりして気を紛らすことすらできない。さすがに、その状態での義父母のあれこれをやるのはしんどかった。

 1ヵ月その状態で、やっと手術予定日に病院に行くと、思わぬ宣告。リウマチで飲んでいるイコサペント酸という血液サラサラの薬を止めていなかったので手術を延期するというのだ。普段は温厚な私も、さすがにブチ切れそうだった。飲んでいる薬は事前に先方に知らせ、口頭でだったが、血液サラサラの薬をストップしなくて大丈夫か執刀医に確認も取っていた。その時には、内視鏡手術なので大丈夫との答えだったのに、それを失念していたのか、方針変更したのかの説明はなし。医師からの直接の謝罪すらなし。事前に中止しなければならない薬を忘れるような医師に手術を任せて良いのか?という疑問が強く湧きあがったが、今更病院を変えれば、ステントを挿入したまま待つ時間はさらに長くなるだけだと観念して、再スケジュールに合意するより他なかった。

 結局、血液サラサラの薬を止めるのは、手術前に一週間との話だったが、次に決まった手術日は手術予定が詰まっているからとのことで、3週間後。なのでステント生活は、まるまる2か月となった。そんなこともあって、週に一度の義母の買物をすっかり夫に任せるようになった。それはそれで得ることも大きかったが、小さい日中のお願い事は、すべて私の仕事。体調が万全でないことは、義父母にも伝えていたが、なにせ忘却の病。「ゴマが無くなったから買ってきて」とか「植木鉢を買いに行きたいから連れてって」…と小さな用事は果てしない。できるだけ、できないことは「できない」とはっきり言って、自分を守らなければと決心するが、勇気を持って「今日は体調が悪いから、ごめんなさい」とお断りした5分後には次のお願いに来られるのには閉口してしまった。自分を守るには、どこかへ避難しなければ…と、この時期歩くのもしんどいにもかかわらず、図書館へ避難する日々。そして、逃げたことで自己嫌悪に陥る。

 介護する側は、健康でいなければ長続きしないと痛感。健康でいるためには、介護は上手に分担し、出来ない時、出来ないことははっきりと断って自分自身のストレス軽減に努めなくてはいけないと思い知る出来事になった。