高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

ケアマネさんの違和感の正体

  義母のケアマネさんは要介護1になった段階で、要支援の時期にお世話になっていた地域包括支援センターの方が紹介してくださった明るく、親切で、お話し好きな方。毎月、ケアマネさんの話したいことをたっぷりと話し倒して帰って行かれる。今のところ差し迫った困りごとがないので、義母の様子を見に来てくださりがてら楽しい話をたっぷりして行かれるのは、義母が家族以外の誰かとお話しできる良い機会ではあると思っている。ケアマネさんが気を利かせて、いつも農家の仕事で忙しい義妹を月に1度会議に呼んでくださるおかげで、なかなか会えない実の娘と義母が顔を合わせる貴重な時間になっていることもありがたい。先日、義妹と義母とで行ったコンサートの経験で、義母の嬉しい記憶は長続きすることが明らかになったので、こうした短時間でもこの時間は貴重なのだと再認識している。

 私たちが具体的な困りごとがない状態で、ケアマネさんを評価するのはフェアではないと思いつつも、何となくの違和感がずっとある。それはいつも彼女が1時間以上、自分のことだけを話して行かれるからだと思っていた。しかし、今回彼女が何気なくした話を聞いていて、ふと違和感の正体に気づいたような気がしている。よく彼女は、担当している他の利用者さんの話をされる。利用者さんの名前を出すことはないので、特に今までは気にしたことは無い。むしろ「水分補給がたりないと私の担当している利用者さんみたいに大事になるよ」とか「庭仕事の時でも携帯電話を持って外に出ないと、もし外で倒れたりしたら発見が遅くなって大変なことになるよ」といった類の具体的なお話は、何というか具体的な教訓になると思って、なるほどそうだなと聞いてきた。

 しかし、昨日は彼女の担当の利用者さんご家族のこんな話をされた。90代で重い認知症の一人暮らしの方の話。近所に息子さんのご家族がいるが、そのご家族は皆フルタイムで働いておられるとのこと。利用者さんが高齢でお料理もできなくなっているので、近所のご家族が一日に一度その日の3食分の食事を早朝に届けてから、仕事に出かけられるらしい。ただ、その利用者さんは重い認知症。届けられた食事は全部一度に食べてしまい、一日の終わりにはひどい空腹に苦しんでおられるらしい。それを知って、ケアマネさんが「重い認知症の親御さんに1日に一度だけしかお食事を運ばないのは虐待にあたりますよ」と注意したと言うのだ。

 その瞬間、彼女の違和感の正体が分かった気がした。確かに重い認知症の方に一度に3食分を届けたら、すべて一度に食べてしまうだろうことは容易に想像できる。でも、フルタイムで働いているご家族としては、最大の努力をしていると私には思えるのだ。そこは、ご家族の責任というより、ケアマネさんの責任ではないのか?と思うのは私だけだろうか?ご家族が届けられるのが日に1度だけだとしたら、後の2食を福祉がカバーするというのが道理だと思うのだ。配食の手配のアドバイスをするなり、施設の入居をアドバイスをするなり、ケアマネさんができることはたくさんあるように思える。

 そのケアマネさんが義母によく言う言葉がある。「最後まで家で過ごせるように、頑張りましょうね」その言葉も私にはものすごくひっかかる。家で最期まで過ごすのは本当にその人のために良いのかな。確かに健康な夫婦にはそれが良いのかもしれない。しかし、認知症でお料理だけでなく家事全般がしんどくなっている義母にとって、家で暮らすことが本当に幸せなのかな?体力が衰えた義父が一人で認知症の義母の日々のサポートをするのはどうなのだろう?施設に二人で入居すれば、お互いが若いスタッフの力を遠慮なく借りて、今家に居るよりずっと楽に楽しく質の高い生活が送れるのではないかな?私も健康な限りは、義両親のサポートはしたいと思っているが、私のできる精一杯を「それ虐待ですよ」と言われたらと思うと、ものすごくやるせない。