高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

認知症の義母の覚えていること、覚えられないこと

 認知症の方が、昔の記憶はたくさんあって最近の記憶があいまいになってしまうということはよく聞く話だ。確かに、義母と話をしていても、昔話はとても得意。幼少の頃のこと、60年前の結婚当時の話になると、記憶がとても鮮明で饒舌になる。楽しかった思い出というよりは、農家の娘で野良仕事がしんどかったり、厳しい祖父に鍛えられた話だったり、結婚当時嫁いだ先には、多くの義兄弟姉妹が同居していて、食事の支度が大変だったという苦労話が多い。時代的にも、裕福ではなかった日本の田舎での暮らしはきっと大変だったのだろうと想像できる。何とか楽しかった話題にたどり着きたくて、幼少期にどんな遊びをしたのかとか、子育てで楽しかったことなどのエピソードを引き出そうとするが、楽しい記憶はなかなかでてこない。

 コロナ禍以前には、カラオケ教室にも通っていた歌うことが大好きな義母なので、義母がよく歌っていた唄を、散歩途中にリクエストすると、歌詞もしっかり覚えている様子。いろいろな唄を覚えているのがすごい。私自身はどうかというと、音楽は大好きだが、残念なことに義母のようにフルコーラス歌える唄は意外と見つからない。もう少し年を取って、認知機能が落ちて来た時に、私を支えてくれるような歌が、自分にはないかもしれないと、ちょっと寂しく、不安になった。

 義母の最近の記憶については、確かにあいまいなことが多い。つい昨日リハビリに行ったのに、「最後にリハビリに行ったのっていつだったっけ?もう長く行ってないね」ということも良くあるし、娘が午前中に会いに来てくれたのに、もう長く会っていないとぼやくことも度々ある。散歩中、義母によく聞かれるのは「今日は何曜日だっけ?」。「何月何日だっけ?」ではない。あくまでも曜日の確認。デイケアに通っているので、デイに行く日を忘れたくないと気を張っているからなのかもしれない。何曜日かを伝えても、5分もたたないうちに情報は消えてしまうようだ。ゆっくりと30~40分歩く散歩の途中で、「今日、何曜日?」は何度も何度も何度も。気を張って、神経質になっている義母をせめて散歩の間だけでもゆったりリラックスさせたくて、質問に答えた後は、その度に話題を変えるが、話の途中であっても「今日、何曜日?」

 新しい出来事の中でも、1月ほど前、お正月休みに帰省していたみゆきと散歩をした楽しかった記憶は残っている様子。私との散歩の度に、「みゆきとの散歩は気持ちよく楽しかったね」と話題に上る。そしてその後は決まって「みゆきは結婚しないのかね?ボーイフレンドすらいないのかね?」となる(笑)確かに、彼女と散歩した時も、歩いている間中その質問を再三されて凹んだわとみゆきが苦笑していた。そう言えば、認知症になってからの私の父の関心事は、「みゆきはどこの大学に決めたの?」だったことを思い出す。高校時代に起立性調節障害で学校にもなかなか行けないみゆきの将来を心底心配した父だった。みゆきが芸術系の大学へ無事入学して、学生生活をエンジョイしていた時期には、逐一彼女の近況を伝えて楽しそうに活動している写真を見せたりもしてはいたが、直後には「良かった、良かった、本当に良かった」と喜ぶのに、すぐその後に、「みゆきはどこの大学に行くの?」を繰り返していた父を思い出し切ない。

 新しい出来事の記憶と言えば、例のコロナになって生涯で最も辛い体験をしたという、偽の記憶も、あれから4週間くらい経っても色あせていないのが、不思議だし、厄介でもある。ことあるごとに口に出してしまうので、デイケアのスタッフの方などを驚かせてしまうのではないかと気になる。その話題が出るごとに、一応記憶を修正しようと試みてはみるが、一度思い込んだ情報は、全く修正できない。この記憶、いつまで残っていくのだろうか。