高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

特別な出来事

 義父の乾癬の湿疹のお薬つけが大変だと嘆く義母のご褒美(お見舞い)に義妹が義母の好きな演歌歌手のコンサートへ行こうと提案してくれた。当日はデイケアの日。生真面目な義母は決められたことをキチンとしないのは大嫌い。ずる休みは絶対嫌だと言い張る。なので今回はデイの日を前日に振り替えていただき、準備万端。当日は、夕方からのコンサートだというのに早朝からおしゃれをして義妹の迎えを待っていた。

 コンサートの翌日は、週に一度の夫が義母の一週間分の買物に同伴する日。車の中では、行きも帰りも「生まれて初めてのコンサートが本当に楽しくてうれしくて夢みたいだった」と何度も何度も繰り返したそうだ。因みに義母は昔からコンサートが大好きな人。好きな歌手のコンサートならば、たとえ相棒がいなくても、年に何度でも、県内県外を問わず駆け付けるコンサートマニア。人生でコンサートへ行った回数は家族の誰よりずば抜けて多いはず。この数、音楽好きの夫でもかなわない(笑)

 楽しい出来事というのは、本当に偉大だ。高級寿司など美味しい差し入れをしても翌日まで覚えていることは皆無なのに、コンサートへ娘と行ったという出来事は、あれから4日経っても鮮明に覚えているようだ。ただ、「当日好みの歌手が、民謡も歌ってくれたらどんなに良かったか」とも同じように何度も繰り返すのだが、これは義妹によると事実とは違ったらしい。「ちゃんとその歌手、民謡を2曲歌ってたのにな」と言っていた。覚えていられる記憶と覚えられない記憶、境界が興味深い。

 義妹も、義母が思った以上に喜んでくれたことが最高に嬉しかったようだ。義妹と義母がこんなに良い時間を共有出来て私も何より嬉しい。嬉しくはあるのだが、何だか釈然としない思いも、実はある。楽しい時間を作ってあげなければいけないのは、むしろ出かけることの全くない義父の方なのではないかと思えてならないのだ。義父は認知症の連れ合いと共に暮らすことでストレスもかなり溜まっているはずだ。音楽の趣味もなさそうなので、義父をコンサートへ連れて行っても喜ばないかもしれないし、義父の喜ぶことを探すのは確かに大変だと思う。でも、ドライブに連れ出して外の景色を楽しむとか、義父だけを連れ出して美味しいものを食べに行くとか、そんなことをしないと、義父はしんどいんじゃないかな?壊れてしまわないかな?

 

 

友人のお嬢さんの話

 

 私の古くからの友人のお嬢さんは、イギリス人とアメリカ人のご両親を持つ女の子。日本生まれの日本育ち。おうちではご両親と英語で話し、勿論外では日本語を話す。

その女の子の話。見た目は美しい金髪の天然ソバージュヘアーに奇麗なグリーンの瞳の彼女。明るくひょうきんな性格で小さい頃からとても可愛かった。しかし、美しい異国人の外見と母国語は日本語というギャップもあり、幼稚園時代から試練の連続。学校にも友人にも馴染めず、自分自身のアイデンティティ形成に苦戦して、小学校高学年になって、起立性調節障害を発症した。それでもなんとか不登校にはならず、いろいろと学校を変えながら、高校3年生までこぎつけ、2年前にアメリカの大学の日本校に入学を果たした。高校在学中にパニック障害と拒食症に悩んでいたと聞いて心を痛めてきたが、その彼女が双極性障害を発症したと聞いて、胸が張り裂けそうだ。

 躁の時の彼女は恐ろしくやる気満々で明るく陽気、多弁、ショッピング三昧。アルバイトも夜中まで寝ずにやりまくり、疲れ果てる。そしてひとたび鬱に見舞われると、知らぬ間に薬を大量に服用して、病院に担ぎ込まれるということを幾度となく繰り返しているらしい。母親は何度となく病院から呼び出されて、田舎から2時間かけて東京の彼女のところへ飛んでいく。「娘と一緒に住んで、彼女の体調管理をできたらどんなに良いだろう」とよく友人は口にする。私が彼女の立場でも同じように感じるだろう。でも、彼女は遠くから応援するスタンスを崩さない。立派だなと思う。しかし同時に、どんなに不安が大きいことだろうかと心配になる。

 彼女の娘さんを治療してくれる良いドクターはいないものか。現在東京でかかっている病院は東京の小さな病院らしい。でも、躁の状態の時に飲むようにと渡されている薬を服用すると、何もかもがぼやけて生きている心地がしないので、勉学にも身が入らないから、ほぼ飲むことは無いという。そのせいで過活動になり疲れ果てる。その事実を病院で相談しても、「そうだね。そういう薬だからね」と言われるらしい。この言葉、どこかで聞いたセリフだ。そう、みゆきが高校生の時。医師に勧められたグランダキシンのせいでものすごく気分が悪くなって大学病院に駆け込んだ時だ。その時、若い医師に「そういう薬だからね」と言われて猛烈に腹が立った記憶が鮮明に蘇る。その一言で、みゆきは一気に医師不信に陥った。

 患者に寄り添って薬を微調整しながら一緒に悩み進んでくれる誠実な医師は、どこに行ったら会えるのだろう。私のリウマチのドクターはリウマチの分野の日本のベストドクターと言われる方だ。もしかしてベストドクター年鑑でも探れば、そんな方に会えるのだろうか?

 

関節リウマチ寛解

 ほぼ20年前に発症した私の関節リウマチ、合併しているシェーグレン症候群による目の不調を除けば、2020年にアクテムラという生物学的製剤の隔週投与を始めてからは病状は非常に安定していた。大きなストレスにさらされたり、極端に重い物を長時間持ったりの無理をしなければ、持病のことを忘れてしまうほど、ほとんど生活には支障がないくらいの状態、いわゆる寛解が長く続いていた。

 しかし、最近ストレスが大きかったり無理をしたりという心当たりがないのに、東京にみゆきに会いに行った頃から、手指の関節が腫れたり足腰の関節が痛かったりと、リウマチの持病を否応なしに自覚するようになっていた。痛みのせいで落ち込んだり、そのせいで生活に支障があるわけではない。何もしなくても始終痛くて、鬱々としていた発症当時とは別の痛み。痛みの理由が関節リウマチによるものだとわかっているからか、鬱々とすることはないし、痛みがあるからと言って何かを諦めたり、手放したりということもない。痛くても仕事には支障がないし、家事にも影響はない。

 痛みはあるが、気になるほどではないとはいうものの、これから年を重ねる上で、関節破壊を起こして年を取ってからの生活に影響を及ぼすのは避けたい。できるなら家族や周囲に介護の負担を与えたくないし、ピンピンコロリが何よりも理想。なので、関節破壊を起こさない方法は探るべきだと考えていたところに、主治医から隔週だったアクテムラの投与を毎週にしてみようという提案があった。ただでさえ高価な生物学的製剤、これ以上の経済的負荷を家系に課したくない。1本3万2千円ほどの注射を月に4本だと13万円くらいになってしまう。これは無理。なので、他の方法を探りたいと話したら、どうも医療費の限度額制度を利用したらそれほど高価にならないということが分かった。これまではマイナンバーカードで政府から監視されることに大きな抵抗を感じて、従来通りの保険証でやってきた私。だが、マイナンバーカードを使えば面倒な手続きなしに当日から限度額が適用されると知って、飛びついた。なるほど、マイナンバーカードって、こんな使い方ができるなら悪くない。これなら災害時にも、お薬手帳を持っていなくても、この小さいカードさえ持っていれば救われると言うわけか。

 アクテムラを増やすリスクは、経済的なことばかりではない。間質性肺炎リスクも上がるだろうし、その他の感染症も今まで以上にリスクになると思う。そもそも、アクテムラが効かなくなることも将来的にあるかもしれない。でも、先のことに怯えるのは、やめよう。限度額適用制度が使えたことを享受しよう。

 

母の2度目の介護調査

 鬱で入院中に行われた母の第1回の介護調査。昨年の7月だったと記憶している。入院中ということで、かろうじて要支援1の介護認定だった。それが、先日2度目の調査を受けることに。最近の母は、精神科の受診でも「お薬を減らしてください」と本人が進言するほど調子が良い。認知機能も落ちていない。昨年の半年以上の入院で衰えていた足腰も、週1のリハビリで随分回復。読書量も健常な私自身が舌を巻くほど。下手をすると月に5~6冊は読んでいる。編物や刺繍も楽しむ。この状態で介護認定が受けられるとは思い難い。しかし、介護認定がないとデイケアでリハビリを続けられないし、近い将来入浴介助が必要になった時に困る。現在入所している施設は、自立型の有料老人ホームななので、入浴介助は施設からは受けられない。介護認定をしていただいて、外部の介護士さんにお願いするしかない。それは、入居先の施設長さんも心配してくださっている点だ。その方に「調査員さんに、あまり何でもできるところを見せてはダメだよ」とあらかじめ注意していただいたようだが、「それはプライドが許しません」と母(笑)

 幸い母は片耳が聞こえにくい。日頃は驚くほどに切れ味鋭い受け答えをする母だが、多少だが調査員さんへの受け答えにギャップがある。しかし、認知機能の面では認定が受けられるとは思えないようなやり取り。ただ、身体機能はちょっと予想とは違った。立ったり座ったりは問題なくでき、ベッド上で起き上がることはできる。しかしベッドから立ち上がるためには、頭側にあるベッド柵をよけるためにベッド上にお尻をついたまま若干足側にズルズルと移動しなくてはならず、その移動に困難がある様子。右足がきちんと伸縮できず、痛みがあるのが原因のようだ。その状態では、右足の爪は自分では切れないと言う。そして右肩が上がりにくいので、衣類の着脱が不便だとのこと。ということは、段差の大きいお風呂の出入りや、入浴時に体を洗うのも難しいのかもしれない。もしかすると、心配しなくても介護認定は下りるかもしれないと、安堵する気持ちと、母のこの小さな不自由に気づかなかった自分が情けないような申し訳ないような。いくら元気な87歳とはいえ、やはり年相応の不自由はあるのだ。

 介護調査の終わりに面白いことが起こった。記憶を確かめるために、調査の最初に提示された3つの物。今回は人差し指のA4サイズの絵と赤いボールペンと調査員さんの車の鍵だった。が、調査員さんが最後にその3点が何だったかを聞くのを忘れたのだ。私もすっかり忘れていた。それをあろうことか母が思い出して指摘したのだ。「最後に何か質問をされるとおっしゃっていましたね」と。苦笑する調査員さん。「人差し指の絵と、何か赤いもの。そしてあと何だったかしら⁇」としらじらしい答えをする母。

 調査が終わって、調査員さんと包括支援センターの支援員さんが帰られた後、「もし介護認定が下りたら、新人女優賞を下さいね」と嘯く母。母にこんなウイットがあったとは。プライドが何とか言っていなかった?(笑)

 

 

 

認知症義母の眩暈

 少しずつ蒸し暑くなってくるこの季節、義母の頭痛や眩暈がお決まりだ。水分を定期的に摂るように、張り紙をして注意喚起はしている。特に高温の日は、朝一番に白湯を1㍑ほど運んで、義父母の水筒へ入れ、一日に少なくともこれだけは水を飲むようにと渡しておく。しかし、眩暈や頭痛は頻繁に起こる。「眩暈がする」の訴えで飛んで行って、経口補水液を飲んでもらうと、すぐに不快感が消えるという体験はしばしば。水筒を準備して、テーブルに水を置き、冷蔵庫や今に張り紙をしても、忘れてしまうことは本当に頻回。なので今回も脱水症状ではないかと疑っている。少し前に、ある特定の介護士さんの前で必ず眩暈が起きるということが続いた。その時の血圧は正常、血糖値も問題はなかった。当時もしかすると前回の脳外科受診の時からからメマンチンというお薬が10㎎から段階的に15,そして20㎎に増量され、それが原因かとも思っていた。しかし、脳外科への問い合わせでメマンチンの副作用は増量してすぐに出るはずなので、一過性の眩暈が出始めたのが最近のことならば、お薬の副作用ではなさそう、と言われたのだった。ただ完全否定はできないので心配ならば、錠剤を半分に砕いて飲んでみては?と提案された経緯がある。いちいちお薬を半分にするのは、今のところやっていない。

 今回も血圧は安定して、正常。お薬を増量してから長い期間が過ぎているので、お薬のせいではないのではないかと思える。水分補給は気を付けて声掛けしているが、私が仕事の日や、夜中は声掛けが不十分なので、もしかしたらまた脱水状態を起こしているのではないかと思える。しかし、脳血管性認知症である以上、血管の詰まりは心配しなくてはならない。私一人の判断で病院に行くかどうかを決めたくはないので、夫や義妹、そして義妹の看護師をしている娘に判断を委ねる。すると全員が「病院に連れて行ってみて」と言う。「連れて行って」の部分に複雑な気持ちにはなるが、ここは、旅行でモヤモヤをリセットした直後なので、脳外科へ義母を連行することに。

 病院へ行く道すがらはいつもの通り。「どこの病院へ行くの?」「いつまで、そんな遠くの病院へ行かなけりゃならないの?」挙句の果てには「何故病院へ行くの?」「ここのところ、頭痛や眩暈が頻繁にあるので、病院でチェックしておきましょう」と答えると、「誰が頭痛かったの?」ときた。

 脳外科で診ていただくと、どこにも異常はないとのこと。尿検査の結果も正常なので脱水もしていない、と言う。ドクターによると「認知症とはこういうものです。体調が良かったり悪かったり、認知機能だけではなく、頭痛や体調変化が著しいのがこの病気の特徴です」とのお言葉。一言一句違えないように、受診を勧めた夫と義妹、姪に医師の言葉を伝えたが、帰ってきた返事は「何でもなくて良かった」だった!!?どっと疲れが来た。

 

旅行最終日の思わぬおまけ

 みゆきとの朝食を終えて、羽田に向かった夫と私。空港へ向かうリムジンバスに乗っている最中に、何と義母のデイケア施設からの着信!!!!!羽田に到着するなり折り返しの電話をすると、この日義母のデイケアの日なのに、「具合が悪いので今日はお休みをする」と本人から連絡があったとのこと。慌てて義母に電話すると「頭が痛いので朝から何も食べずに寝ているとのこと」何ということだ!日頃はとても元気な義母が、私たちが留守の日に体調を崩すとは。「脱水症状を起こしているかもしれないから、お水を沢山飲んで休んでください」と本人にはお願いして、大急ぎで義妹に電話する。と「今日は忙しいから様子を見に行けない」との返事。

 心配でたまらないが、私たちが帰るまで手の打ちようがない。とっても具合が悪くなったら、私たちか義妹に電話を必ず下さいと、もう一度義父母に念押しの連絡をしたものの、それから家に帰るまで、気が気ではなかった。空港で、お腹を空かせているだろう義父のために、すぐに食べられるものをバタバタと買って、大急ぎで帰宅した。

 帰るなり、義父母を訪ねて、「大丈夫ですか?」と聞くと、「え?何のこと?」という素っ頓狂な返事。「具合が悪かったのでは?」と聞くと「誰が?」普通にソファーに腰かけて、テレビを観ていた。

 良かった!!!!!楽しい癒しの旅行が、思わぬ結末にならなくて、本当に良かった。ほんの2~3日の旅行だからと、義妹たちに連絡をせずに行ったことは大反省。余計な気を遣わせるのも気が引けて、「行ってくるね」を言わなかったが、今後は出かける時は必ず義妹夫婦に連絡してから出かけることにしよう。

東京滞在最後の朝

 東京滞在最後の朝、出勤前のみゆきがホテルの豪華な朝食をたかりに来た(笑)仕事の溜まっている忙しい中、少しでも一緒にいられるようにと気を使わせてしまったようだ。彼女との待ち合わせは、高校時代には考えられなかった時間、朝8時。ビュッフェスタイルの朝食で、彼女が何をお皿に乗せるのか、とても興味があった。起立性調節障害の闘病中は、シュガージャンキーになっちゃうんじゃないの?と心配になるほど、学校へ出かける前のエネルギー補給に食べていたのは、決まって少量の果物か、もっと具合の悪い時は、口当たりの良い小さいアイスクリーム。そもそも朝起きていなかった。

 カメラマンの仕事をするようになって、自然派の雑誌の取材の時にはナチュラルな、ビーガン料理のお弁当が出ることが多いようだが、それ以外の時はコンビニお弁当や出来合いの物が多い彼女。洋食ビュッフェなのに、白身魚のコンフィとか温野菜をお皿に乗せている。そして山のような果物(笑)薄給の彼女、やっぱり果物にはなかなかありつけないのね。今後このレストランには出禁になってしまうかもというほど、山盛りのサクランボを平らげていて大笑い。イヤイヤ、ふてぶてしく逞しく育っていることに、心から感謝だ。忙しいから体や心を壊していないかと心配したが、これも杞憂だったようで、安心した。先回りの杖はしないと決めていたのに、何年たっても育たない母。反省している。でも今回の上京は、彼女の為というより自分自身の心の浄化になった。時々は、旅行をしたり、心を解き放つ時間を取ろうと思う。