高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

8か月ぶりに友人に会う

 みゆきの安否確認に上京した機会に、8か月前に関東地区へ移住した、20年来の友人と渋谷で合流した。そして一日たっぷり積もる話をして過ごした。本当に久々の再会だったので、昔通りの距離感で話ができるのか少し心配だったが、杞憂だった。すぐに以前の通り、日頃のうっ憤をぶちまけ、美味しい料理を共に食べ、美術館を散歩して本当に心の底から癒される時間を過ごすことができた。

 彼女は、長い間ご自宅でお母様を介護され、無事お見送りを果たして一人暮らしを続けておられた。二人のお子達は関東で自立しておられたので、彼女の田舎の一人暮らしを心配された娘さん家族が、家を新築されるタイミングで、同居を決め、関東へ移住された。彼女の娘さんご家族との同居の話も興味深かった。孫のいない私にはとても想像できない、小さいお孫さんたちとの日々は想像を絶するほど体力勝負のようだし、日々成長するスーパーアクティヴなお子たちとの生活話は刺激的で楽しかった。

 それに何より、今まで溜まりに溜まった日頃のうっ憤を聞いてもらえたのが、何より嬉しかった。うっ憤と言っても、私の毎日は言うほど大変ではない。義両親も寝たきりではないし、実の母も辛い鬱のピークは越えて、去年とは比較にならないくらい平和な日々は送れている。しかしほんの少しずつ溜まった小さなストレスの積み重ねは、吐き出してしまってから気づいたのだが、結構溜まっていたなと自分でもビックリ。それを誰かに聞いてもらえる幸せ。共感してもらえるありがたさ。例えようがない。

 すっかりリフレッシュできた。さて、次回彼女と会えるのはいつになるのか?でも、人間生きているうちに、会える時に会いたい人とは会っておくべきだと痛感。どうか彼女が私の愚痴で辟易としていませんように。彼女も少しでも心が軽くなっていますように。今度はもっと前向きな楽しい話を出来るよう、それまでに楽しい体験を積み重ねておこうと思う。

 

みゆきと過ごす一日

 溜まっているリタッチ(写真の修整)の仕事を放り出して、1日私たちに付き合ってくれたみゆき。彼女の体が気掛かりで見に行っただけなので、元気であればそれで良かった。「観光がしたいわけでも、ショッピングしたいわけでもないので田舎の両親をもてなさなくても良いよ」と固辞したが、「来る日も来る日もパソコン作業で疲れているから目を休め、栄養補給の日にする」と言い張って、1日私たちに付き合ってくれることに。朝割と早くに合流して、お昼は横浜の中華街に。その日は横浜球場で横浜×阪神戦があるからお店を予約しておいた方が良いだろうと、事前に予約を入れておいてくれたおかげで、大混雑の中にもかかわらず、すんなりとお昼にありついた。お昼を予約したり、電車の時間を計算したり、そつない彼女の行動に目を見張る。食事の量にも驚いた。私たちの知っている彼女は、いくら美味しいものでも、たとえ大好物ですら小鳥のようにしか食べられないひ弱な女の子だった。しかし、それが油をふんだんに使ってあるボリュームたっぷりの中華を美味しそうにバクバク食べる。

 午後からは、ほんの少しだけ散歩をして、夕食は彼女のアパートのすぐ近所の馴染のビストロへ行くことに。大学卒業以来たっぷり6年間同じところに住んでいる彼女。アパートに入居した当時、私と初めて行った近所のビストロ。とても家庭的で抜群に美味しい洋食を出してくれる小さなお店。彼女のアパートから徒歩3分のところにこんな美味しいビストロがあるなんてなんとラッキーだろうと2人して大喜びをしたことを覚えている。ただ薄給の彼女には、そうそう頻繁には行けない値段のお料理がほとんど。しかし私が上京した折には必ず行っていたし、仕事がたてこんでバテバテの時、何か大きい仕事を頑張った折には自分へのご褒美で食べに行っていたらしそのお店。いつしかすっかり顔なじみになっていた。コロナ禍には、そのお店もかなり大変だったらしいが、仕事の帰り際に彼女を見かけると、売れ残りのお惣菜やパンを持たせてくれたり、何かと気遣ってくれた、本当にありがたいお店。今回またこうして、日頃のお礼を伝えられる喜びは大きい。都会はご近所の人と繋がることが非常にまれであるとはよく聞く話だが、ご近所に彼女の健康を気遣って下さる方のいる幸せ。

みゆきに東京で会った

 みゆきに会いに行った。夫婦喧嘩で東京へ逃げて行ったわけではない(笑)ここのところ師匠の仕事のアシスタント業務に加えて自分で取って来た仕事も徐々に始めている彼女。アシスタント業務が減ったわけでは全くなく、いつものブラック業務にプラスして自分の仕事をしているので、どうも睡眠時間を削っているような様子が、時々しかかからなくなった電話の折に垣間見えて心配になって駆け付けた。

 表向きは夫が行きたがっているジャズコンサートのために東京へ行くので、時間があったら会おうという名目で。そしたら、金曜日の7時から9時までのコンサート直後、仕事場からコンサート会場近くまでみゆきが出てきて夕食を共にした。田舎に生活する私たち夫婦にとっては、9時以降の食事は、とても稀な出来事。この時間から食べる罪悪感と言ったら。当然彼女の方はいつもの夕食の時間。むしろいつもより早いというから何とも言えない気持ちになる。彼女の不規則な生活はよく理解しているつもりだったが、こうして一緒に食事をしてみるとその異様さについつい口を出したくなる。彼女、食欲はある。元気そうでもある。毎日自転車に乗ってアトリエを往復しているようだから、運動もしっかるしている。おまけに撮影のある日は重い荷物を持ち運びしているので、しっかりと筋肉がついている。筋肉がない人は、水分を体内に溜められないから脱水症になりやすいと聞くから、その点は高校時代とは格段に違ってずっとずっと強い人になっているはずだと、彼女の体を観察しながら思う。

 次の日は土曜日。日曜日は終日仕事だそうだから、リタッチ(写真の修整)の仕事は溜まっているけれど土曜日は一緒に過ごそうと言ってくれた。

ケアマネさんのこと

 義母のケアマネさんは、要支援の時期にお世話になっていた地域包括支援センターの方に義母が要介護1になった段階で紹介していただいた方。私とほぼ同世代。明るくてフレンドリーで、歩いて5分のところに住んでおられる方。包括の方は、家が近所だからという理由で薦めていただいたと記憶している。

 悪い方ではない。むしろとても良い方。優しいし、明るいし、信頼もできる。私が義父母のお隣に住んでいて、介護のキーパーソンになっていることを知りつつ、毎月の話し合いの予定を立てる時には必ず義妹に連絡をして、それとなく彼女を介護に引っ張り込もうとしてくださっていることも分かっている。本当にありがたい。ただ、介護認定を受けていない義父に介護認定を受けることをプロの立場で勧めてくれたり、義父母の食事の援助などの良い方法のアドバイスを受けたいにもかかわらず、どうもそこのところを理解していただけないことがじれったい。毎月の会合は、ケアマネさんの話したいことをたっぷりと話し倒して終わり、みたいなところに少しうんざりもしている。

 長年実のお母様をたった一人で介護してきた私の友人のケアマネさんは、その点痒いところに手の届く実に優秀な方だった。何度か私もお会いしたことのあるその方は、何より介護をする側が疲れ果てないようにと実に様々なアドバイスをされていたし、こんな時はこの施設が良いなどという、介護施設の情報に精通しておられた。義母のケアマネさんを探すときに真っ先にその方に連絡したかったが、残念ながらその方はご自身も介護をしなければならないという理由で離職されていて、叶わなかった。

 ケアマネさんを変えるのは悪いことではないと聞く。しかし、大きな落ち度のない方を変えてほしいとは言いづらい。新しい方がどんな方かもわからず、変えていただくこともリスクが大きい。またその方が、相性の合わない方だったら困る。そう何度もケアマネさんを変えるのは考え物だし。

 もしかすると、本当はこれこれこんなことを望んでいます、と言いたいことをリストアップして会議に臨めば良いのだと思うが、差し迫った大きな困りごとがない状態ではそれも難しい。ケアマネさんに上手に要望を伝えて、回答を引き出すのはこちら側の手腕が問われるということだろう。少しずつ、方法を考えていきたいと思う。

自分自身の健康のこと

 小林製薬の薬害のニュースを見ていて思うのは、同じものをずっと摂り続ける怖さ。サプリメントは勿論だけど、これはサプリに限ったことではない。食品もしかり。とはいえ毎日毎日同じ食品を摂り続けるということは、お米以外にはないのでこれはさておき、持病の薬は怖い。関節リウマチを発症して20年近く、少しずつ内容は変わったが、毎日毎日薬を飲み続けている。薬を飲み始めた頃は、薬局で袋一杯の薬をもらって帰るのが恥ずかしくてたまらなかった。まるで老人のようだと。今はれっきとしたシニアだし、いつの間にか大量の薬をもらうことに慣れてしまっていた。

 しかし今回のような薬害のニュースを見ると、ふと恐ろしくてたまらなくなる。ころりと死んでしまえるなら構わない。構わないが、今持っている持病に加え、また違う慢性疾患を養っていかなければならなくなるのは、とてつもなく怖い。私の主治医は国のベストドクターの称号を持つ方。優しいし、患者の話も非常に親身になって聞いて下さる。なので、過去にも何度か減薬の話を持ち出してはみた。でも、何種類もある薬の中の痛み止めの薬を2錠から1錠に減らしてみようかと提案してくださるくらい。2錠が1錠になっても減薬とは言えないくらいの微々たる変化。にもかかわらず結局、痛み止めを1錠減らすと、生活に支障が出るくらいに痛みが強くなり、痛み事態は我慢するとしても、痛いということは炎症があるということで、そこの関節が破壊されているということに違いない。

 もう命は惜しくない。とはいえ四六時中痛みに耐えて、その上関節破壊を起こして、自立した生活ができなくなるのはごめんだ。

実子が同伴した成果

 夫と言い争って、義両親の病院への同伴を私ばかりに任せないでほしいと伝えた手前、すぐに同伴をお願いするのも気が引けた。なので、直後の義母の眼科には私が一度同伴し、次の義父の皮膚科同伴は「私は行けないので、誰か行って下さい」とお願いした。いけない理由はない。本当のところ「行けない」ではなく「行かない」なのだけど、それでは角が立つので、理由は言わず「行けない」とした。そしたら、義妹が同伴してくれることになった。農繁期にこうして時間を取ってもらうことを申し訳なく思う気持ちもある。でも、そんなことを言っていては私はずっとモヤモヤを抱え続けることになる。ここはためらわないことにした。

 義父の通う皮膚科は、本来家から車で30分の大学病院。基本、義父はとても健康で頑丈な人だが、70代になった頃に尋常性乾癬を発症し、以降大学病院で治療してきた。私と同じく免疫疾患で生物学的製剤で治療しているので、病気のことを理解できる私が付き添うのが一番合理的であることは承知している。しかし、私より近親者の夫や義妹が義父の病気の名前すら覚えていないこと、どんな病気か調べてみたこともないことに私はずっとモヤモヤしてきた。義父も86歳と高齢になったことで、生物学的製剤の副作用の間質性肺炎の具合が悪くなってきて、3ヶ月ほど前から注射を止めて、軟膏と光線治療に切り替え、今まで同様大学病院で様子を見てもらってきた。しかし軟膏と光線治療なら近隣の皮膚科でできるということで大学のドクターの勧めで、実は今回から近隣の個人病院に転院するというタイミング。この近隣の皮膚科、歩いて10分。自立心の高い義父は当然のことながら一人で通院すると言い張る。しかし、義父は極度の難聴。初回だけは治療方針など話し合いたいからと無理やり義妹に同伴してもらうことを納得してもらった。

 この義妹の同伴で、彼女は義父の発疹だらけの体を初めて見て衝撃を受けたようだった。話には聞いていても、百聞は一見に如かず。それに加えて思わぬ副産物があった。義父が認知症の義母との生活の様子をつぶさに語ったらしいのだ。義父は早朝5時に起床するのに、義母の方は8時過ぎに起きてきて朝食は9時、10時になってしまうこと。当然昼食は遅くなる。昼食を食べないことも多々あるらしい。夕食は大抵は作るが、ご飯だけだったり、ご飯を炊き忘れて、おかずだけだったり、おかずが単品だけということもままあるらしい。義父が銀行で下ろしてきた現金は義母があちこちにしまってしまって行方不明になることが多発。外出の度に家探ししなくてはならない。「やってられないよ」と本音も飛び出したらしい。

 食事が時間通りでないことは気づいていたが、抜いてしまうことがあることは私も知らなかった。気を付けて、何かにつけて様子を見には行くが、監視されていると義母が思わない程度にしなければと考えていた。ショックでもあった。義母に嫌がられても、もっと頻繁に差し入れをしようか。そう思う反面、私が自主的に動くのはどうかな、という気持ちがなくもない。義妹にはもっと頻繁に差し入れを持って様子を見に来てほしいし、昼食ができるデイケア施設を義父、義母二人ともに探すという解決策があっても良いとも思う。先ずは、実子たちがどういう方針を立てるのかを、私は待つことにしたいと思う。当然時々の差し入れをしながら。

春だから

 夫と喧嘩をしてから、どうも体調が悪い。体調というより、メンタルが悪いのかな。何でも話せる友人が転居して、半年以上も会えていないのも原因の一つかもしれない。今までは、何かあっても彼女と会ってとりとめのないおしゃべりをすれば、塞いだ気持ちも持ち直せていた。今回の夫婦喧嘩は、思わぬことに息子に取り持ってもらって、夫のだんまり無視の状態は終わっている。ただ、何というか、問題が解決しないままで、夫が普通の状態に戻ってしまったので、スッキリしないというか、もやもやが残っているというか、私の伝えたかった本意は全く理解されないままになったままのような気がして、心が晴れない。

 今回の喧嘩を子供たちに知られてしまったのも、何だか情けなく恥ずかしく、いたたまれない。長く同居した子供達に見栄を張るつもりもないけれど、毅然とした親でいたかったという思いがある。決して自分は強い人間ではない。ちょっとしたことで揺れるし、みゆきが起立性調節障害を発症して学校へ行けなかった時期にも大いに動揺し悩み苦しんだのを、家族は見て来たのだから、今更隠す必要もないのだろうとは思う。でも、でも…

 あれ?この心の調子が悪い感じ?これって春だから⁈母の心が壊れたのも思い返せば、桜の季節だった。その時も大きな出来事がきっかけになったわけではなかった。こんな時は、外へ出よう。外へ出て、体を動かさなくては。一気に春らしくなった野山を眺めるだけでも回復できるかもしれない。