高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

あとがきのあとがき-私の犯した大きな過ち-

 既に、一連の記事を書いてきて、ひととおりのことは書き終わった。しかし実は、肝心のことを書いていない。私の犯した大きな失敗のことだ。みゆきの闘病に付き合って、いろいろな小さな失敗を重ねたことは書いてきた。朝起きの苦手な彼女を起こすときに、大きな音楽を鳴らして怒鳴られたこと。不用意に”頑張らなくていいんだよ”と言って彼女を傷つけ激怒させたこと。担任の先生に病気をわかっていただくための努力を怠ったこと。そのほかにも数々の失敗をできるだけ忠実に書いてきたつもりだ。

 だが、ひとつだけどうしても吐露できなかった大きな過ちがある。それは私の両親に彼女の病気を告白したこと。

 みゆきの祖父母には心配をかけたくないとは思ってきた。隣に住んでいる夫の両親は、すばらしくできた人たちで、彼女が学校に行けていないことをわかってはいても、その理由を問いただしたりあれこれ言ったり一切せず、一貫して黙って見守ってくれる人たちだった。それがどんなに私達にはありがたかったか。

 一方私の両親は、遠方に住んでいるので彼女の闘病を全く知らなかった。だが、彼女の高校三年の夏だったか、何かのついでに我が家に遊びに来るというので、私が予防線を張ってしまったのだ。あれほどみゆきの先回りはしないと固く誓っていたのに、だ。

 私の両親は私が幼少のころから、教育に熱心な人たちだった。特に、私の父は、私が小さい頃から英才教育をするような人だった。孫のみゆきたちにも期待が大きく、英語や音楽教育は早く始めるようにとか、彼女たちの才能を最大限に伸ばしてやらなければと再三私に意見するような人だった。なので高三のみゆきに会ったら、必ず ”大学はどうするの?”と聞くに違いないと思ったのだ。

 大学をどうするかなど全く見えない、卒業できるかすらわからない時期に、だ。もしかしたら、いやきっと、みゆきなら自分でこの質問に、上手に答えていたに違いない。なのに私は、闘病のさなかに大学のことなど聞かれたら、みゆきが壊れてしまう、と心底恐れたのだ。そして私は、父が訪ねてくる前に手紙を書いて、みゆきの病気のことを知らせてしまったのだ。彼女を守るための先回り。これが、こんなに大きな悲劇を生むとは予想だにしていなかった。