高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

病気が教えてくれたこと

 病状が重かった高校時代の2年間は、本当に苦しかった。今まで、薬を飲めば数時間、遅くとも一週間もあれば元通りに元気になるという病気しか知らなかった。なので特効薬の無いこの病気は、体力的にもしんどかったし、ずっと闇の中にいるようで、先が見通せず恐ろしかった。周りの理解が得られなかったことも試練だった。

 仮にも、病気をして良かったとは言い難い。ただ、病気が教えてくれたことはあるように思う。一つは、彼女が心の底から愛していたのは、実はアートの世界だったということに気付かせてもらえたこと。病気をしなければ、この道に出会うことはなかったに違いない。

 そしてもう一つは、日頃から自分を支えてくれるほど”好きな何か”を持っていることで、危機に瀕したときに救われるのだということ。みゆきにとっては、音楽がそれだった。もし、みゆきに吹奏楽という大好きなものがなかったら、学校へ行く力は湧いてこなかったにちがいない。吹奏楽コンクールという彼女にとっての特別な目標が、彼女を健康な世界に引き戻してくれた。

 さらに、病気をしなければその存在に気が付かなかったと思う大事なことがもう一つある。高校時代に、病気のせいで全く勉強できなかったにもかかわらず、英語を幼少の頃から積み重ねていたおかげで、”英語の力”が彼女の杖となって、大学に合格させてくれた。現在の彼女には、残念ながら英語を使う機会はほとんどない。けれどこの力はきっと、これからの彼女の”お守り”になっていくにちがいない。

 もし彼女に、自身を勇気づけてくれる音楽がなく、積み重ねてきた英語の力がなかったとしたら、彼女の病気はもっともっと長引いていたと思う。

 彼女の闘病を見てきた、みゆきの弟にも、実は高校に入学したころから起立性調節障害の兆候があった。血圧が低く、疲れやすい。そしてお腹を壊しやすい、朝がしんどい。彼には喘息の持病もあった。しかし、姉の病気を勉強することで、彼は重篤な症状

になることを回避することができた。疲れすぎないように、度々自主休校して体調を調節する術を学んだ。高校というところは、かなり休んでも卒業できるのだということを、彼は身を以て知っている。そして、彼は3年間いろいろな運動部を転々としながら、軽い運動を継続してきた。何事にも必死でのめり込む姉を反面教師にして、彼は何とか病気にならずに高校時代を切り抜けた。これも、みゆきが身を以て教えてくれたことだ。