高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

諦めるという生き方

 私の実家の母は85歳。私の家から車で1時間半の田舎に一人暮らし。4人兄妹の中の紅一点としてとても大切にされて育った人。父と結婚する以前にも、結婚してからもよそで仕事をしたことなく、専業主婦だった母。社会とのつながりは、いつも"家族経由、父経由”だった箱入り娘がそのまま箱入りおばあさんになったような人。父が亡くなって6年、よく一人で生きてきたなと思う。今住んでいるところも、父が定年退職を迎えてから、家庭菜園で自給自足生活をしたいという願いをかなえる形で引っ越したところなので、知人もいない。近隣の隣保班の方との繋がりのみ。もともと県内には親戚もほぼいないし、子育て中にできたであろう友人たちも近所にはいない。

 多分、母は公の手続きやら何やら、預金の出し入れすら一人ではやったことがなかったのではないかと思う。当然、車の免許も取らないままに過ごしてきたし、自転車にすら乗れなかった。それが、年を取ってスーパーも、コンビニすらも歩いて行ける距離にない場所に一人残された母。私たち姉弟は二人とも車で1時間以上かかるところに住んでいるので、父の他界をきっかけに私たちの近くに越してくるよう勧めたが、「ちょっと考えてみるよ」と言っている間に6年が経ってしまった。その間、ほとんど私たち子供の手を借りずに一人田舎に暮らし続けたのだから、すごい。

 買物は生協の配達でまかない、病院や銀行などへは一人タクシーで行く。日中は家の周りの草取りを細々とやり、雨の日には日がな読書をする。近くには当然食べ物屋さんも皆無なので、三食自炊。自分一人の小さな口を養うだけとはいえ、3食365日。これも私には無理だ。

 140cmくらいしかない小さい人だが、とても元気。この年になっても血圧やコレステロール値に問題はなく、季節の変わり目に喘息のごくごく軽い発作を起こすくらい。これは、早め早めにかかりつけの病院へ行って薬をもらっている。これと言って大きな病気はしたことがないが、3年ほど前に腰が重くて歩きづらいと訴えて、その時は私が同伴してあちこち病院探しをしたことがある。腰が重いというのでまずは整形外科へ。レントゲンで背骨に2ヶ所ぐらい圧迫骨折があるとのことだったが、手術は必要なく普通に生活してかまわない、と言われただけ。薬も出ないし、リハビリの指示.もない。この時の母は、自分の困り感に見合った治療が受けられず納得しなかった。内科的に問題があるかもしれない、と内科に行ったり、婦人科に行ったり、脳外科に行ったりして原因究明のために長くドクターショッピングをしたが、結局かかりつけ医に”気にしすぎかも”と精神安定剤を処方されて泣き寝入りした。

  しかしその後半年を過ぎるころから、安定剤を飲まなくても済むようになり、いつしかその時の腰の違和感を忘れて過ごしてきた母。それが、3年ぶりにあの時と同じような腰の重みを感じて、歩けないと電話してきた。いつになく暗い声だった。さて何科を受診したものかと思いながら、翌日母を訪ねると、「多分また圧迫骨折を起こしたのかも」と母。そして驚くことを言ったのだ。「体の不調を受け入れて生きることにした」と。

 

 明日仕事に行かなくてはならないわけではなく、

 何か特別なことをしなければならないわけでもない。

 85歳なのだからこのくらいの不調があって当然だと諦めれば、

 何ということはない。

 受け入れて生きることにしたよ。

 

この達観した結論には、敬意を覚えるが、娘としては何かできることはないのか、

母を物理的に、精神的に支えてくれるホームドクターがいてくれたら良いのにと願わずにはいられない。