高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

心療内科から精神科受診まで

 夫が鬱で苦しんだのは11年前。みゆきが起立性調節障害で臥せるまだ前の話。夫が職場で、新しい部署に配属され、残業が続いて毎日帰宅が午前様だった頃のこと。いつのまにか眠れなくなり、夜中に熊のようにのっしのっしと歩き回り、朝になっても不機嫌で何をするにも億劫で、些細なことで家族に切れるという時期があった。どれくらい続いたか、正確には覚えていないが、相当長い間苦しんだように記憶している。当時は、夫の心配は勿論だが、子供たちへの影響が気掛かりで、自分は夫に引きずられてはならない、と必死だった。たまりかねて、「このままでは壊れてしまう。睡眠導入剤をもらいに行こう」と説得して先日母を連れて行ったメンタルクリニックを受診したのを覚えている。どれくらい服薬を続けたのか、どのように治っていったのか、残念ながら定かではないが、私も相当しんどかった。

 その後みゆきが起立性調節障害を発症して、また心配の日々をかれこれ2年以上送ったが、この時も胸が張り裂けそうに辛かった。辛かったが耐えてきた。それは、自分が母親だからだったのかどうか定かではない。でも何とか、彼女が自力で家を出るまで踏ん張った。

 それが今回母の不調には、どうしても耐えられない私。悲しいし、辛いし、自分自身が壊れそうになるのを止められない。冷静であろうとすればするほど、母の不調に振り回され、クタクタになるのだ。大きな総合病院受診までの1ヵ月弱の間を一日たりとも耐えられない危機感。必死でショートステイ先を探そうと焦るが、介護認定なしで入れるのは、夜職員がいなくなってしまうような施設ばかり。途方に暮れる。