高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

転院

 本人に意思確認をせずに転院を決めたことは、申し訳なかったし、母が拒絶するのではと気掛かりだった。しかし、思いのほかスムーズに事が運んだ。転院の日は、仕事の日ではなく私も行けなくはなかったが、母が一番本音を言いやすい私が同行してしまうと、スムーズに事が運ばないような気がして、私は逃げた。代わりに弟と弟の連れ合いが仕事を休んで、3時間かけて迎えに行き、また3時間かけて転院先へ連れて行ってくれた。これはドライバーにとっても、老人にとっても強硬旅程ではあるが、間に一泊してしまうと母の心が揺れるので、退院の日に転院までしてしまうのが最良の策だと、入院していた病院の看護師長さんからのアドバイスだった。

 3週間ほど前の入院のための旅程は、母はずっと泣き通しで辛い辛い道中だったが、義妹によると、今回のドライブ中にはにこやかに談笑などもして、もう再入院せずに自宅に連れて帰ってもいいのではないかとも思えたとのこと。でも、やはり新しい病院に着くと母の表情は一変、狂気の表情に変わってしまったようだった。この病院を受診することは本人も納得していて、「この道は病院への道と違うのではない?」などと言っていたらしいので、病院へ行くこと自体はポジティブにとらえていたはずだ。なのに、やはり病院というところそのものが病気を露わにするものなのか。転院先の病院についてからの母は見るに忍びなかったと、私に報告をしながら義妹は号泣した。

 親が病気をするのは本当に辛い。腎不全になった父が、透析を受けるようになった時も、長い透析期間を経て、認知症になった時も確かに辛かった。私の家で青春時代を過ごした実の兄のような存在の叔父が、がん宣告を受け余命が3ヶ月だと知らされた時も、胸が張り裂けそうに辛かった。しかし、精神疾患の母と対峙するしんどさ悲しさは、今までに経験したことがない、表現のしようがない辛さだ。

 今度の病院は、平日の午後予約もせずにいつでも面会できるらしい。入院中の治療は、途中経過の説明なども頻繁ではない。治療の経過を見るためにも、しばしば母に会いに行かなくてはいけないと思っている。しかし、今日こそは行こう、今日こそは必ず行こう、と思いつつ3日が経過してしまった。