高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

母に面会に

 母が自県の病院に転院して一週間あまり。やっと一大決心をして面会に行った。病棟は思った通り鍵のかかる扉の向こう。そこで既に暗い気持ちになる。患者の安全のため、外から、いやむしろ内側から自由に行き来できないようにする重要性は理解できる。頭では理解できても心がざわつく。

 この一週間、本人が食事を拒んでいるということで、昨日から点滴に繋がれて、便宜上ナースステーションのすぐ隣の部屋に入っていることは義妹から聞いていた。しかし、前日義妹が面会に行った折、「家に帰れるようにしっかり食べて体力をつけておこう」と言ってくれたおかげで、その直後の食事からはしっかり摂れているとのことで、点滴は外れて、面会室には介護士の方に導かれて杖を使って歩いて来た。

 しかし、面会室の母と目が合わない。私に会って嬉しいそぶりもない。長く会いに行かなかったのですねているのか、私のことがわからないのか、判断がつかない。いろいろな話をしてみるが反応がない。下を向いて、物憂げに杖に顎をのっけて、宙を眺める母。他県の病院へ会いに行ったのは、ほんの10日ほど前だが、その時には、泣いて帰りたいと訴えた母だが、その母はもういない。感情が見えない。生気もない。医学に詳しいわけでも、鬱のことを良く知っているわけでもない。でも、私の直感がこれは鬱ではないと言っている。レビー小体型認知症という言葉が私の頭をかすめる。レビーについて詳しいわけでもないし、レビーの特徴は幻視や幻聴だと聞いたことがあり、母にはその症状はないと聞いているが、何故かレビー小体型認知症という病名を意識から振り払えない。

 アルツハイマーだから、良かったとかレビーだから余計悲しいと言うことではないが、何とも言えない大きな不安が広がっていくのをどうしようもない。