高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

みゆきが覚えていること

 高校時代に起立性調節障害で苦しんだみゆき。あれからはやくも9年。今回の帰省はコロナにり患したせいで、自由に出歩けなかった。しかし「実家で何をしたの」と仕事仲間に聞かれて、「家で食べて寝たと」しか言えないのも寂しいとのことで、外出しても差しさわりがないと思われる帰京の日のお昼だけ、彼女の希望で外食をした。リクエストは彼女の闘病中、病院へ行った帰りによく寄ったエスニック料理の店。当時、何を食べても吐き気がするのでガリガリに痩せてしまっていた彼女が唯一美味しく食べられたのが、そこのトムヤムヌードル。それが食べたいと言う。

 期待を膨らませて注文したその料理、残念なことに、体調の悪い時に必ず助けになってくれる料理ではなかったらしい。コロナ明けの、まだ痛みの残っている喉には刺激が強すぎたようだ。でも笑いながら彼女曰く「高校時代のことは本当に何も覚えていないのだよ。覚えているのは、ここのトムヤムヌードルが私の救世主だったこと。それと高校時代に吹奏楽コンクールの地方大会に行って、顧問の先生がラーメンをご馳走してくださったこと。たったそれだけ」

 人間の体はすごい。しんどかったことは、きれいさっぱり忘れさせてくれるようだ。

どんな風にしんどかったのかもあまり覚えていないらしいし、当時の学友の顔や恩師の方々も全く記憶になく、ぼんやりと出席日数が足りず落第寸前だったことや、母親に苦労をかけただろうことはもちろん自覚があるけれど、具体的には何も覚えていないのだと言う。今でも時々、単位が足りず卒業できないという悪夢で飛び起きることがあると言う彼女。でも、詳細は本当に覚えていないのだそうだ。卒業式の朝に、私と大喧嘩したことすら覚えていないと言うから拍子抜けだ。

 当時のことを詳細に覚えているなら、苦しんでいる人にいろんなアドバイスをしてあげたいと言う彼女。でも現在彼女が助言できるのは、エスニック料理ならきっと食べられるよ。そして今は苦しくても、その苦しみはいつか終わるし、終わってしまったら忘れられるよ、ということだそうだ。