高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

子供が不調の時の不安や悲しみの処理

 友人に、子供が不調の時の不安や悲しみ、どうやって処理してたのと聞かれて、少し困ってしまった。苦しかったことは勿論、とてもよく覚えている。そんなに遠い昔でもない。胸が張り裂けそうで、何も手につかなくて、私は仕事も辞めたのだった。しかし具体的に何をして自分を元気づけていたか、よく思い出せない。多分、人間というのはうまくできているのだと思う。困難を体験しても後に覚えているのは、卒業式の日に、カリカリした私に「それだけガミガミ言ったら、すっきりしたでしょう?」と笑ったみゆきの笑顔だったり、摂食障害で、ガリガリに瘦せてしまっていたみゆきが、タイ料理店で、トムヤムヌードルをぺろりと平らげて驚いたこととか、良い記憶の方が多いのだ。

 友人のために、昔の記録を紐解くと、悶々とみゆきが起きてくるのを待つ間私がやっていたのは、解決策を探すために専門書を読み漁ること、そして同じ悩みを抱えた方々のブログを読みふけることだったようだ。良い音楽を聴くのは、とてもリラクシングで心地いいものだ。今だと、そう思えるが、当時は音楽を楽しもうなどという気持ちには到底ならなかった。昔から読書は私の人生で一番大切なものだと思ってきたが、医学の専門書以外の読書も、当時全くできなかった。運動もしかり。体を動かせば、きっと気晴らしできたはずだが、そもそも運動したいという気持ちになれなかった。

 気心知れた友人には、悩みを聞いてもらった。本当にありがたく、今でも感謝に堪えない。しかしそれですっかり心が軽くなったかというと、その時の喉のつかえは、一瞬取れるものの、家に帰るとまたズシリと心が重くなった。きっとそんなものなのだ。結局、周りの者には、ほんのわずかな時間、喉のつかえを取ってあげることしかできない。一緒に考え、悩み、共感して、後は”早く痛みがなくなりますように”と祈ることしかできない。でもたとえ一瞬でも痛みを取ってもらうことで、私は壊れずに済んだのだと、改めて痛感する。当時支えてくれた友人たちに改めて感謝。そして今度は私がお返しをする番だ。