高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

実母が鬱を発症して丸1年

 ちょうど一年前、実家の母が常軌を逸し、娘としてこの事態にどう対処してよいのか分からず大いに動揺し、本当に苦しかった。母の症状は激烈で、パニック障害のようでもあるし、統合失調症、またはレビー小体型認知症かもしれないと恐れた。どのような病気だったとしても、冷静に事態を受け入れて、良い病院を探し治療を受けるつもりではあったが、その病院探しは想像以上に難しかった。良いドクターを見つけることよりも、介護をする私たちが病気にならないように一刻も早く母をどこかに預ける、隔離することを何より優先してしまったことに、今でも罪悪感というか、後悔というか、割り切れない嫌な後味の悪さが残っている。本当にありがたいことに母は長い時間がかかったものの”怪物”から元通りの”人”に戻り、あの時の償いがまがりなりにもできているので、後悔も罪悪感も小さくて済んでいるが、あのまま、母がこの世界に戻ってこられなかったら、私はどれだけ悔やみ、自分を責め続けることになったことだろう。

 病気が落ち着いて、小さな有料老人ホームに入居を始めた頃の母は、一日が退屈で退屈で、辛そうだった。しかし退屈を紛らすためにテレビを観たり、読書をしたり、入居者の方同士でおしゃべりをしたり、週に一度の”歌を歌う会”に参加することすらできなかった。そして、「病院に帰りたい」と日々泣いた。それが徐々に施設の食事が美味しいと楽しめるようになり、施設長の方が母のために大幅に蔵書を増やしてくださった、施設の本棚の本を読み漁るようになった。今では、朝晩のテレビニュース番組は必ず見ているようだし、週に1度の”歌の会”にも参加するようになり、先日は自分でも人生初のカラオケをやってみたと言う。「カラオケの日は週1では少なくないですか?」と施設長に意見したりもするようになったと聞くから驚きだ。

 最近の母は、日々美味しいものを頂いて、大好きな読書三昧の生活に感謝をしつつ「これでいいのかね?一年前には草取りしたり、食事を作ったり、何かしら労働をしてたのに。全く労働なしに、本ばっかり読んでて気楽は気楽だけど、いつまでこうして生きていなくちゃいかんのかね」とぽろり

 誰かの役に立てなくなって、生きながらえる虚しさ、しんどさ、私もそう遠くないうちに感じるようになるのだと思う。そんなときに、どう励ましてもらえたら納得できたり、嬉しく思ったりできるのだろう。娘の私にとっては、”母が一年前のように病気で苦しんでいないこと”、ただそのことが本当に嬉しくありがたい。”私が嬉しいこと”、それだけで、”母が生きる意味”になり得るのだろうか。