高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

言いにくいことを言ってみる

 連れ合いが、私の至らないことを激しく非難してその日から口を利かなくなった。ほんの些細なことだと思って、伝え忘れた義母のこと。義母が花見のお出掛けで最初2個注文するはずだったお土産の注文書の注文個数を、直前に義母自身がくちゃくちゃと書き直して1個に変えたという事実。私は義母の気持ちが変わったのだから別にどうでもいいと思って、夫には伝えていなかった。そしたら、花見の当日、我家のお土産の1個がなくなってしまったことが気に障ったらしい。お土産がなくなったことそのことより、義母が注文書を書き直した段階で私が報告をしなかったことが彼の琴線にふれたらしい。気づかぬところで、私はこういう報告漏れがあるようだ。言われたら確かにそういうところはあるかもしれない。当然大きなことは報告するが、小さなことは確かに報告していなかった。小さな...と言ったが、その小さなことの基準が私の物差しで測っていたことは否めない。育った環境が違うのだから、お互いの物差しが違うことや、ごく些細なことが受け入れられないことがあるのは当然のこと。価値観が違うのだったら、「そこはこうして欲しい」と静かに言ってくれたならら改めるように努力するのに。激しく怒鳴って以後何日も口を利かないというのは、私には耐えられない。「嫌なところは治す努力をするから言ってほしい。ただ、そうやってだんまりで何日も怒っていられるのは止めてほしい」と伝えても、「腹が立っているのだから口もききたくない」とくる。

 私は、こうやっていがみ合うのが大嫌い。いがみ合ったり、大きい声を出したり、無視されたりすると、心がつぶれそうになってしんどい。静か~に穏やか~に暮らしたい。多分私も息子と同じHSP。だから、私はちょっとくらい嫌なことがあっても、いや随分嫌なことがあっても、黙って飲み込む。それは理不尽だよ~と思っても、何より私自身の心の平安の方が大事だから。

 お互いそれでは、何も解決しないとはわかっていた。嫌なところを冷静に言い合って、折り合っていくことはできないかな。これは彼と結婚してから30年ずっと思ってきたことだ。このままいつものように、長い長いだんまり無視の状況が続くのは耐えられないので、今回少し勇気を振り絞ってみた。「私はね、そうやって無視されるととっても傷つくのでやめてほしい」と。そしたら、「腹が立って話したくもない」と言う。それって、自分が腹が立ったことは、私に激しくぶつけて、私が傷つくのは構わないと言うことか⁈

 そこで、私も嫌な気持ちになることがないわけではなく、平和のために飲み込んできたことがあることを言わなければという気持ちが抑えられなくなった。決定的なタブーだということは分かっていたけど。「義両親にはずっとお世話になってきたし、一番時間があるのは私だから、お二人の病院に同伴するのは当然だと思ってはいます。でも、それが当然のことだとあなたや義妹には思っててほしくはないのだよ。お二人のことを一番知っておかなければならないのは実の子供達だと思うから。時には時間を作って、同伴する努力をしてほしい」と提案してみた。使う言葉にはとても注意したつもりだけど、言いながらみるみる彼の表情が変わるのが分かる。予期した通り地雷を、それもとてつもなく大きい地雷を踏んでしまったようだ。帰ってきた言葉は「わかったよ。これから先、全部同伴は年休取得して俺がやる」そう言って激怒。「わかったよ」じゃないよ!何もわかっていない!!!!!

 まあ、彼が怒っているときに話を切り出した私が悪いのは分かっている。でも、今言わなかったら、また新たな火種を、平和な時間に持ち越してしまうことになる。今まで私だって飲み込み続けた言葉はあって、「平和のために口にしなかったのだよ。私は平和な時間が何より大切なのだよ」と伝えたかっただけなのに、大失敗。そもそも30年もこのことを伝える努力をしなかった自分の落ち度だということは重々わかっている。でも、30年共に暮らした相手に、自分の気持ちをわかってもらえない虚しさ寂しさは大きい。