高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

ひらめきの事実

 義母が楽しく通っているはずのデイケア。最近、行く回数が週3に増えて、新たに加わった曜日は、どうもいつものメンバーと違うらしい。そのせいなのか定かではないが、「何か最近は爺さん婆さんばっかりいるんだよね。年寄りばかりの中にいて浮いてしまうから嫌だよ。話が全く合わない」とぼやく。送迎の方に伺うと、「平均年齢は変わらないはずなんですがね~」と笑っておられた。さて自分は何歳だと認識しているのだろう(笑)そういえば、私の大叔母も施設に入所した時によく「周りが高齢の人ばかりで話が合わない」と言っていたことを思い出す。実際その当時大叔母が施設の中で最長老だったはだ。友人のお母様も確か、デイケアに行くと周りが高齢の人ばかりで、歌を歌っても時代が違うしお話も合わず楽しくないとおっしゃっていたことを思い出す。年を取ると、認知症であるか否かに関わらず、自分は一番若いと感じるものなのか。

昔、子供たちの学校のPTAの会に行くと、私は自分が最長老であることがとても多くて居心地悪く感じたものだが、年を取ると私自身も周りが高齢者ばっかりだと感じるようになるのだろうか。そうだとしたら面白い。

 義母が新しく通うようになった曜日には、昔昔、40年くらい前、義母が通っていた日本舞踊の教室でご一緒した馴染の方がおられたようだ。義母の方は気が付かなかったようだけれど、その方は「日本舞踊の教室で一緒にお稽古してました」と義母に声をかけて下さったそうだ。その日は全く思い出せなかったようだが、数日してああ、あれは、○○さんだったと思い出したそうだからすごい。年を取って昔の記憶をたどるのは、とても良いことだと言うのは聞いたことがある。しかし、最近めっきり記憶が衰えてしまった義母が、40年も昔の踊りのお仲間を、しかもその方のお名前まで思い出したのは本当に素晴らしい。これを契機に日本舞踊をしていた頃のお仲間のお一人お一人を思い出し、その方々のことを楽しそうに語ってくださる義母の姿は輝いている。

 人間の記憶とは興味深いものだと思う。時には義母の繰り言を厭わず、じっくり聞いてあげるのが良いのかもしれない。数珠つなぎに記憶が戻ってきたら素敵だ。宝石のような逸話が聞けるかもしれない。