高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

認知症になった義母の性格

 義母は、明るく社交的で優しい人。植物をこよなく愛し、どんなに暑い日でも大きな2個のジョウロを持って、家の周り中の植物に水やりを欠かしたことがない。若干19歳で、当時は農家をしていた義父の家に嫁入り。農作業や力仕事は、大の得意。両親のほかに未婚の兄弟姉妹が、当時5人も同居していた義父の実家で、若い頃から何年も大人数の飯炊きをしたため、料理も大得意。大人数が集まる食事会では、驚くほど多種類の料理を、手際よく、大量に作る。余るぐらい作らないと気が済まない気前の良さに、核家族に育った私などはいつも舌を巻く。夫の両親と隣接する家に暮らしていることを、よく私の友人たちは心配してくれたが、嫁いびりなどは皆無、生活や教育に干渉もしないので、ありがたいことこの上のない環境だった。

 

 やはり同じ年ごろで認知症を発症した、私自身の父と似ている性格を探すと…几帳面、心配性。父は、神経質な感じではなかったけれど、私の弟がひどい喘息発作を起こすと、一晩中弟が息をしやすいように負ぶって過ごしたり、弟が思春期になって、朝起きられない症候群(多分、起立性調節障害だったと思う)を発症すると、学校へ行けないことを悩み苦しみ、弟の将来を思って眠れぬ夜を過ごしていた。研究職だったので、研究成果を出すことを思い煩うことも多かったと想像する。

 

 義母も、とても几帳面。料理がとてもとても美しい。家の中はいつもきれいに整っている。他人にはとても明るく振る舞うけれど、心配性。当時は、一言も言葉に出さなかったが、学校へ行けない孫娘「みゆき」のことを、眠れぬほど心配していたに違いない。その上、その体の弱い孫娘が、単身、東京に受験旅行へ行ったり、大学、就職で都会の真中で一人暮らしをすることになるのだから、心労の大きさはいかばかりだったか。それに重ねて、このコロナ禍。東京の日々の新規感染者のニュースは、想像できないくらいに義母の心をかき乱しているに違いない。