高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

無力感からの脱出

 角膜潰瘍の予後が悪く、痛みもなかなか癒えずに心身ともに弱っていた私。自分が何もできない、世間(家族)のお荷物のように感じてしまっていた。助けを一番必要としている義父母の役に立てない。車で病院へも同行できないし、買物にも一緒に行けない。ずっと今までやってきたお薬カレンダーも、薬を間違ってしまいそうで作れない。義父母の郵便物の管理すらできない。

 実は今回の退院後、結婚してから数十年目にして初めて、療養ために実家に一週間ほど滞在した。私の母も85歳。いい年をして高齢の母に”おんぶにだっこ”の療養生活なんて、情けないやら申し訳ないやら、とてもいたたまれない気持ちになった。本来ならば自分が病気で入院していたことすら、母には告げずに済ませたかった。それがたまたま、私の入院中に夫のコロナ感染が発覚して、家には帰れない事態に。その時期感染者激増でホテルの部屋をみつけることもできず、やむなく実家に世話になることになったのだ。

 公共交通機関にも恵まれない地域に一人暮らしの高齢の母のもとに身を寄せるのには、大きな抵抗があった。せっかく里帰りするというのに、私には母の買物の援助をすることすらできない。母の大切な食品ストックを浪費するだけ。しかし、意外なことに母は大歓迎。自宅の私たちがしている食品のストックでは、子供のいなくなった夫婦二人の生活でも、一週間食べつなぐのは到底無理。しかし、実家の父が車の運転をできなくなった2016年から、おおむね6年、食品ストックの経験を積み重ねた母のストック術はすごかった。一週間、2人余裕で過ごせた。しかも病院の悲しい食事とは大違いの豊かな食卓。

 そしてしかも母からは感謝の言葉。結婚して家を出た娘と、こんなにもゆっくり昔話やら、読書談義やら、とりとめのないおしゃべりができるなんて夢にも思わなかったというのだ。田舎に一人暮らしをしている母。いくら無類の読書好きとはいえ、一日中誰とも話さずに、食事すら黙々と一人で食べ、暗くなって読書がしんどくなった夜にはテレビを見て過ごす日々はさぞ寂しかったのだろう。日頃は、嚥下訓練のため、テレビの歌番組を見ながら一緒に声を出して歌っていると聞いていたので、昔、弟が使っていた古い古いキーボードを引っ張り出して、母の好きな歌を弾いてみたら大喜び。一緒に歌いながら、”そうだあなたの滞在中は、毎日音楽の時間を持とう”、と大張り切り。おしゃべりをして、誰かと何かをともに楽しむ生活が恋しかったに違いない。

 

 そうだ、こうして母とおしゃべりしたように義父母のおしゃべりの相手をすることなら今の私にもできる!!!迎える冬に向けて、編み物を一緒にするのも悪くない。