高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

みゆきの起源

 年末年始の休みにみゆきが帰省した。今回は、仕事の都合で、いつもの年よりも1日だけだが長くいられた。たった1日長い休みというだけなのに何故か、いつもよりゆっくり彼女と話ができた気がしたのは不思議だ。今回の帰省も、いつも通り食べては寝、寝ては食べての繰り返し。「体重が増えすぎて大変だ」と大げさに騒ぐわりに、改善は無し。ただ、初日の出は見たいと、元旦は日の出前より早く起きた。学生時代のような彼女を起こす儀式が無しになったのが、しみじみと嬉しい。車で1時間ほどの田舎に住む私の母に会いに行く日も、すんなり自分で起きて来た。起き抜けの不機嫌さは全く変わらないものの、不機嫌な時間帯の彼女のトリセツさえわかっていれば問題ない。

 1日増えた貴重な時間のおかげで、彼女は昔の自分がどうやって形成されたのかを探すため、幼少期の本棚を探ってみたようだ。「刺繍絵本でさ、天使がいっぱい出てくる絵本のタイトルって何だったかな?」「おいしそうなお菓子が出てくる本はどれだったかな?」「色のはじまりが書かれている本もあったよね?」

 探し出したのはそれぞれ『ゆめみる天使たち』byベリンダ・ドウンズ、『ジョンの誕生日』byヘレン・オクセンバリー、『いろいろへんないろのはじまり』byアーノルド・ローベル。どれも私が、子供たちの幼少期に自分の好みで買った物だ。どっちの子に読ませようとか、こんな種類の本を読ませたいなどの意図があって求めたものではなく、ただただ自分の好みで買ったものだ。

 自分が無作為に選んだ本を、娘が20年以上たった今でも覚えていて、それが自分自身の礎になっていると感じてくれているのはこの上なく嬉しい。嬉しい反面、ものすごく怖いとも感じる。もし私が選んだ絵本が違っていたら、今のみゆきはどんな道に進んでいたのだろうか?違った方向に進んでいたのだろうか?勿論絵本だけで、人の人格や夢を作り上げるということではないのだとは思う。出会った人や、環境や体験も大きく影響しているのはだろうとは思うが、本棚の絵本が子供たちを少なくともインスパイアーしたことには変わりないのかもしれない。みゆきの弟の方はどうだったのだろう。彼が懐かしいと思う絵本が何なのか、次回の帰省の折にぜひ聞いてみたい。