高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

一歩進んだ?

 物忘れ外来で認知症と診断されて約1年半、急速な病状の悪化は起きていないと感じてきた。日によって確かに若干の違いはあるものの、相対的にはあまり違いがないように見える。ただ、今日の義母は調子が悪い。

 いつものように、両親の朝食が終わるころに様子を見に行くと、義母だけ、まだだらだらと食べている。食べながら、「この蕪の酢漬け、味がしないんだよね。これもコロナの後遺症なのかね。味がしないなんて、こんなつまらないことってないよね。」とぼやいている。調子は悪そうなのに、コロナに感染した偽の記憶は残っているというのが、皮肉だ。「ご飯も、お味噌汁も味がしないの?」と聞くと、「いや、蕪だけ」との返事。試しに一口蕪を食べてみる。すると、確かに味がない。多分、酢漬けにしようと、蕪を切った段階で、保存容器にしまってしまったのだろう。しんなりもしていないので、塩もみもまだだったのかもしれない。「お味がついていないよ」と言ってしまうのはやめて「これくらいの薄味が私は好きなので、いただいて帰ります」と一旦引き上げて、次回差し入れするときに味を付けてからお返しすることにしよう。

 食事を済ませて、煮豆を作ろうと動き出した義母。やる気まで失せていないのはありがたいが、いつもは大得意な煮豆を作る段取りの段階で途方に暮れている様子。一晩水に漬けて下準備まではできていたのに、どうやって煮たらよいのかわからなくなったと言う。作り方の書いてある豆のパッケージを眺めてはいるが、どうも内容が理解できないと言うのだ。「今までのパッケージと違う豆を買ってしまったのかもね」となだめながら、ひとつひとつ解説をしてみる。まず、豆の量の3~4倍の水で沸騰するまで煮るらしいよ、と伝えると「そんなことはわかってるんだよ」と言う。「じゃあ、どこがわからないの?」と聞いてみたい衝動を抑えて、沸騰したら、水を半分まで捨てて、半分は新しい水を加えるらしいよ、と伝えると「半分?半分っていうのがわからんのだよ」と義母。大きな熱い無水鍋を抱えて、湯を捨てようとする義母を制して、お玉で水を捨てようと提案すると「そんなまどろっこしいことはできない」と一蹴されそうになったが、私が作り方を教わりたいけど、私には怖くてそんなプロの技は無理だとお断りして、私がお玉を使って、お湯を捨てる。

 「新しい水を、捨てた分くらい補充するらしいよ」とパッケージに書いてある手順を説明すると「捨てた分?って計ってないんだからわからないじゃん」というので、大体の分量をボールに入れて見せながら「これくらい?」と聞くと、「そうだね」の返事。

柔らかく煮えたら、砂糖を加えるらしいと説明すると、「砂糖はどれくらい入れたらよかったかな?」と困惑する。きっと今までは、長い経験で、目分量で入れていたのだろうと思うが、病気になって、今までの経験値を思い出せなくなったということなのだろう。残念ながらパッケージには砂糖の分量の記載がないので、「100gずつ、入れながらお味を見て、決めようと提案してみる。100g入れては味見をし、また100g足して味見し、400g入れたところで、私にはちょうど良く感じられたが、義母にはまだまだ味が薄いと思えたようで、500gまで入れることに。ネットでこっそり調べると、乾燥豆の重量と同量か8割と書いてあるので、本来ならば乾燥豆1㎏に500gの砂糖では、全然甘みが足りないという義母の感覚は正しいのかもしれないが、自分たちが口にするこの大量の煮豆にそれだけ多くの砂糖が入っていることを知ってしまった上では食べられないので、これで良しとしよう。

 今まで一番得意だった煮豆作りや、酢物に手間取った義母のこの先を考えると、どうしたものだろうかと重い気持ちになってしまう。義父のことを考えると、義母がデイケアに行く週2回だけではなく、差し入れの回数を増やすべきかと悩む。でも、料理をすることで病気の進行を食い止めているかもしれないと考えると、安易に決められないような気もする。

 調子の悪そうな日は、1品差し入れをする工夫などしながら、もうしばらく様子を見てみようか。今夜は、例の味のついていなかった蕪の酢漬けを差し入れしよう。