高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

考え方の違い

 このブログの読者の方の応援メッセージや気晴らしの買物やドライブ、息子のハンドパワーの力を借りてすっかり気分転換ができた私。新しい気持ちで義父母に向かい合えるようになった。今までよりも手の込んだ美味しいものを差し入れようかという気持ちになったし、義母に「散歩に行きましょう」と気軽に言えるようにもなった。

 夫や義妹とは、意見がかみ合わないこともある。複雑なオーブンレンジが使えなくなった義母に、シンプルな温め機能だけの電子レンジを買ってあげようと提案しても「新しいものはどんなにシンプルな物でも使えないだろう」と言われたり、火事が怖いので、ガスレンジをIHに変えようと提案しても、同じ理由で却下されたり。先日などは、骨折をしてギブスをしているせいで、長くお風呂に入れずにいる義父が気の毒で、(どうも義母には、義父のシャワーの介助は無理のようで、夫に手伝うように勧めても無視するので、ずっとお風呂ならずとも、シャワーすらできていない義父)「ギブスが取れるまでの間だけ、老人介護施設に短期入所させてもらったらどうだろう」、という私の提案も断固拒否。家の中にずっといることで、ギスギスしている義父母の関係も、少し間をあけることで良くなるのではないかと思ったのだけど。

 義父を有料の介護施設に短期入所させる話は、「本人が嫌がるに違いないから」と実子たちは言うけれど、ギブスの足でお手洗いには立たなければならず、そのことが不自由でもあるだろうし、骨折している足をどうしても着いてしまうので、怪我の治りも悪い。介護施設なら、車椅子でお手洗いへ行けるだろうし、入浴も特別な設備のあるお風呂にプロの方に入れてもらえるに違いない。お風呂に入れたら、本人、きっと気持ち良いと思うのに。骨折したのが私の母なら絶対に介護施設に入れるのにな。入所を本人も希望するだろうし。根本的な考え方がそもそも違うのだろう。同じ環境で育ったわけではないので、考え方の違いがあるのは、当然と言えば当然なのかもしれない。

 両親が年を重ねるにつけ、これからも予想だにできない問題が出てくるに違いない。基本的に、私が年を重ねた時に、そうして欲しいと思うことは、これからも提案はすると思う。でも、基本、実子たちが決めて行けばよいと思う。長く、お風呂もシャワーもしていなくて、義父のことは、甚だ気の毒ではあるけれど、私は入浴の介助はしないことに決めている。「できないことはできない、したくないことはしない」を守ることで自分を守っていきたいと思う。義母のお風呂の介助が必要になっても、これはしないと決めておこう。私だったら、息子の嫁にお世話してもらうのは嫌だから。