高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

認知症の義母が救いに

 母が我家に来てから、3日。特に朝の落ち込みが激しい。寝る前に睡眠導入時を飲んだのに、早朝に起きだしてくる母。眠れなかったのかもしれない。起きて顔を洗って、私たち夫婦の食事に加わって食卓には着く。が、食事を始めるなり、俯いて頭を抱える。夫のメンタルまでやられては大変なので極力、気づかぬふり。せっかく気づかぬふりをしているのに、「助けて~‼」と夫の注意を引こうとする。

 老人の鬱症状、朝に具合が悪く、夕方にかけて快方に向かうところは、起立性調節障害と似ている。天気に気分が左右されるあたりも似ている。ただ、朝起きて来るというのが違う。当時、朝、食事に現れないみゆきも辛かったが、負のオーラで食卓を占拠されるのは、なおのこと辛いと思い知る。今日一日母とどう向き合ったらいいだろうかと考えるだけで、暗く落ち込んでしまう私。

 しかし、今日は義母のコレステロールのお薬をファミリードクターのところに取りに行く日。具合の悪い母を置いていくのは心配ではあったが、老人を用もないのに病院へ同行させるというのも考え物。まだ、コロナの脅威は終わっていない。それを口実に母を留守番させることに。日頃は読書の好きな母ではあるが、ここのところは読書どころではなさそうなので、本も数冊転がしておきつつ、何も考えなくて出来る雑巾作りを依頼することに。見つかる限りの古タオルをかき集めて、糸を通した縫い針とともに置いておいた。「気が向いたら、雑巾作りをお願いします」と。

 義母との病院の待合時間は、「お母様の具合はどう?」を何十回も聞かれる羽目にはなったが、不思議と安らぎの時間に。連休前で患者さんがいつもの数倍。長い長い待ち時間とはなったが、暗い闇から遠ざかる、癒しの時間となるという皮肉。”忘却の人”は物忘れはするけれど、負のオーラを放っていないというありがたさ。いや、お天気不順や、何か嫌なことがあった後の”忘却の人”も暗く落ち込んだり、イライラすることもあるが、鬱の人のそれとは、全く程度が違う。周りを一気にブラックホールへと引きずり込むようなドロドロとした、強いエネルギーに、今後飲み込まれずに済むだろうか。仕事のある夫を守るにはどうしたらいいだろう。

 今こそ、彼を両親の介護に介入させるチャンスかも。夫には”忘却の人”の明るいエネルギーをいっぱい注入していただこう。

 家に帰ったら、雑巾が山と積みあがってた。どれだけ仕事が早いんだ‼‼でも、こんな仕事ができるということは、どん底ではないという証拠。どんどん単純作業を探して、黙々とこなしてもらいながら、それが母自身の癒しになったり、まだまだ人の役に立つのだという誇りに繋がってくれたら嬉しい。