高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

実家の母の不調

 義父母のお世話に追われて、実家の母へ十分な配慮ができていなかったのかもしれない。時々電話をしたり、メールをしたり、気を付けていたつもりではあった。せめて月に一度は母を訪ねて、実際に暮らしぶりを確認したいと思ってはいるが、義父が事故に遭ったり、義母の調子が悪かったりで、最後に母を訪ねてから、3ヶ月が過ぎてしまっていた。いや、3ヶ月は経ってないぞ。3月初めに病院へ連れて行ったから。1ヵ月だ。なのに、本人も私も3ヶ月くらい会っていない気がしていた。

 みゆきに会いに上京しようとしていた前日に母から突然電話。”何だか調子悪い。助けてほしい”という。声の調子が異様に暗い。”助けてほしい”とはよっぽどのことだ。”明日、出かけなきゃいけないんだけどな”と思いつつ母を訪ねると、異様に顔色が悪く、もともと小柄な母が、いつもよりずっとずっと小さくなったように見えた。これは一人で置いておくわけにはいかないと思い、先ずは私たちの家に連れて帰ることに。我家からそう遠くないところに私の弟家族が住んでいるので、私の旅行中はそこに預かってもらおうと咄嗟に考えた。仕事中の義妹を呼び出し、事情を話して母を数日預かってもらう算段をして。久しぶりの義妹が、母がとてもかわいがっている孫娘を連れて来てくれたので、先ずは一緒にランチをしたのだが、母は不機嫌にだんまり。お気に入りの孫娘に「私んちに行こう」と誘ってもらっても、「桜の咲いている公園へ行って、お散歩しよう」と言われても、「今日はやめとく、家に帰りたい」の一点張り。これは、次の日からの東京旅行をキャンセルしなければならないかもと覚悟をしたが、義妹が何とか母をとりなして預かってくれた。後で聞くと、結局弟のところへは、しぶしぶ行ったものの、どうしても帰りたいと言い張って、一泊もせず家まで送って行ってもらったようだ。

 日頃はとても温厚で、子供家族に遠慮をする母が、以前にもこんな風に意固地に自己主張をしたことがあった。父が認知症になって、その事実を受け入れられずに不安な日々を送っていた頃のこと。父と一緒に介護施設に入りたいと言ったり、いざ施設を見学して入所の手続きをしようと動くと、やっぱり家に居たいと言い張ったり、ころころと心変わりする母が、とうとう心を壊してしまったと、ものすごく心配になったことがあった。あの頃の症状と同じだ。

  日頃は、物忘れも年相応で(私より、人の名前がすいすい出てくるくらい)、軽い喘息があるくらいで大きな病気や手術をしたこともなく、足腰の痛みもない、至極健康な母。読書や刺子、編物などの手仕事や植物を愛する心穏やかな人。しかし母も85歳。そもそも人と群れない性格の母ではあるが、父が亡くなってからの一人暮らしは、気楽ではあったかもしれないけれど周りにご近所さんも少ない田舎暮らしだということもあって、寂しかったのだろうと思う。

 そろそろ近くに呼び寄せたいと数年前から心のどこかでは思いながら、母が元気なのを良いことに新しい居場所を探すことを怠っていたことを大反省。急ピッチで母の住処を探さなくては。85歳という高齢でありながら、介護認定を受けていない老人の一人暮らし先を見つけるのは容易ではない。お隣が義父母の家なので、我家に滞在しながら住処を探すのも窮屈なはずだ。弟夫婦と相談しながら、急ぎ母の居所を探さなくては。