高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

認知症発症から3年経ったお正月

 認知症を宣告されて初めてのお正月は、昔通りの大ご馳走を何とか周りの声掛けを頼りに数種類作った義母。次の年には、酢物とお吸物になり、今回は酢物だけになった。今回の酢物作りも、しかし大変だった。私が代わりに作ってしまえば手っ取り早かったに違いない。しかし、今年初めて家族の食事会に参加する新しい家族(みゆきの弟の嫁)には、何としても義母の美味しいお料理を体験して欲しかったので、半ば強引に沢山介助するという心づもりで作ってもらった。家族の新年会は2日の夜。なので本来ならば1日に材料を買って料理できるならばそれが理想的だった。しかし、1日に開いているスーパーはない。なので、12/31に買物したのがまずかった。

 買物をした当日から、普段は買わないタコを買ったことで母は既にパニック。「タコはあなたのでしょ?」と言う。これは、延々続くと思ったので、一旦私の冷蔵庫に預かることに。しかし、預かってからも何度も我家のドアをたたく義母。「私、お正月の料理を何かしなくちゃなんなかったよね?」と気になって仕方がない。そこで作戦変更して、31日のうちに酢物を作ってもらうことに。でもこれもうまくいかない。「タコで何を作ったらいいの?」となる。ここは腹を据えて、タコを切り、キュウリを刻むところまで見届けることに。タコを小さくカットし、キュウリを薄切りにして塩をした段階で、母からは「もうあなたも忙しいだろうから行きなさい」と追い出された。当然その後酢物は完成したと思いきや、夜、年越しそばを届けた時には、キュウリは塩もみしただけ。タコも切っただけの状態。これはやはり最後まで見届けなければ、と「今日のうちに酢物は仕上げておきましょう。そうすれば当日は慌てなくて済むしね。」と提案すれど、固辞。「当日に作らなければ美味しくない」とのこと。結局、仕上げは2日に私が自分のノルマでいっぱいいっぱいの中、手取り足取り、なんとか仕上げることができた。何故だか、昨年はお吸物も自分が作ったはずだと思い出した義母。これも自分で作ると言って聞かない。そこで任せることにしたら、パーティが始まる直前に「どうやって作ったらいいかわからん」と言い出す始末。「今年はお吸物なしでいいことにしいましょう」と言ったら、嬉しい出来事が。

 テーブルセッティングをやっていたみゆきの弟が「僕が作ります」と手を挙げた。義母の冷蔵庫から鰹節と昆布とをさっさと取り出して支度を始めるや、「あれ?これ賞味期限切れてるね!」だそうだ。今度こそ、お吸物を諦めようとしたら、その彼が「白だしありますか?」と言い出した。幸い私の冷蔵庫には残り少なくなっていた白出汁が少し。「それで大丈夫です」とあっという間に彼がお吸物を完成。驚いた。

 小学生の頃から、私が仕事から帰るとお風呂のお湯を張り、ご飯を炊いて待っていてくれる子だったが、お吸物まで作れるとは。大学時代に自炊していたのは知っていたが、まさかお吸物が作れるとはおもいもよらなかった。

 お料理上手な義母ができる料理が、年々少なくなってくることは寂しくてたまらない。だが、一方でそれをカバーできる人材が増えるのは無性に嬉しい。たかが、お吸物を我が息子が作ったことを喜ぶ私を不思議がるゲストたち。「お湯に白出汁入れただけでしょ?」と一笑する。でも、それだけじゃないんだよ。いちいちあれしてこれしてと指図なしに、しかも自分からやってくれることが特別なのだよ。

 世のなか捨てたものじゃない、と思える幸せ。