高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族のあゆみ

高校生で起立性調節障害を発症した娘と家族の記録

言いにくいことを言う10日前の出来事

 実は、夫との喧嘩は今年初めてではない。結婚当時から、私が思っても見ないところに埋まっている彼の地雷。時々踏んでしまっては、だんまり無視1週間を何度も経験するうちに、自分自身の平穏のために、地雷を踏まないように踏まないようにと、とても用心して暮らしてきた。言いたいことを全く言わずに来たわけではない。我慢に我慢を続けて暮らしてきたわけではない。ただ用心してきただけ。でも、年に1度は踏んでしまって、落ち込むことは何度も何度もあった。

 先日、一大決心して彼の両親の病院同伴の件を伝えたその10日くらい前のこと。実は義妹の娘が赤ちゃんを連れて義両親の家を訪ねてくれた夜のこと。出産祝いのお返しに返礼品用のギフトブックを持って来てくれた。勿論きれいに包装されたもの。夕飯の後何気なく「頂いたプレセント開けてみましょうか?」と私が彼に言った直後のこと。すぐに包装紙をはがしている途中の彼に「そう言えば、お母様がギフトを選ぶのを手伝って欲しいと言っておられました」と声をかけた途端、彼がブチ切れた。「中身が分かっているなら何で先に言わないんだ」と。ビックリ!!!!!中身って、ギフトブックだから、開けてみなけりゃどんな品物が載っているのかわからない。どこが間違ってた⁈そして一週間以上もだんまりが続いたのだ。私の落ち度は、依然わからない。どこが間違っていたのかな。理由がわからないまま、不機嫌な彼のご飯を三度三度作り、寝る時も私を避けるように寝起きをする彼の態度に疲れ果てた。意地悪なことをしたわけでも、無神経なことをしたわけでもない、なのに何でこんな嫌な思いをしなくちゃいけないのだろうと思ったら泣けてきた。家出して逃げ込めるはずの私の実家は、昨年末に人手に渡ってもうない。そう思ったら途轍もなく寂しくて悲しくてたまらなくなった。そこで、わけを言わずにみゆきのところへ行ってみよう!と思いついた。そしたらいてもたってもいられなくなった。折しも桜の開花時期。去年みゆきを訪ねた時は、桜が散りかけの時期だったので、今年こそは満開の桜をどうしても見たくなったのだ。

 みゆきにlineをして「明日から、しばらく泊めてくれないかな?」と言ったら、「明日から」と言った、その突拍子もなさに異変を感じたらしい彼女。「明日、明後日と早朝から夜遅くまでの撮影なので、二日間だけホテルを取って泊ってくれるかな?ホテル探してみるね」と連絡があった。どうもその間、弟に連絡をしたらしい。速攻でみゆきの弟からlineがあった。「お母さん、大丈夫?何かあった?」と。日頃はあまりやり取りをしていないはずの姉弟。でもこんな緊急時には、さっとつながるのね、そう思ったらおかしくなった。それから速攻でみゆきの弟から電話。日頃はほとんど電話をかけてこない彼が、何があったかをじっくり聞いてくれ、明日行くから待っててとのこと。仲裁に入ってくれると言う。いやいや、誰かが間に入ったら余計こじれるからと固辞。すると、次の日「仕事の帰りにご飯を食べに寄った」と我家に来てくれた。喧嘩のことには触れず、ただ食事をして帰って行った彼。直後、何故か、夫の機嫌が直っている。怒った理由や、だんまりの謝罪もなく、何事もなかったかのように、元の通りになるのは何だか釈然としない。でもいがみ合っているのも息ができないくらい苦しいので、そのままなあなあにしてしまったのだ。これもいけなかった。

 

 

言いにくいことを言ってみる

 連れ合いが、私の至らないことを激しく非難してその日から口を利かなくなった。ほんの些細なことだと思って、伝え忘れた義母のこと。義母が花見のお出掛けで最初2個注文するはずだったお土産の注文書の注文個数を、直前に義母自身がくちゃくちゃと書き直して1個に変えたという事実。私は義母の気持ちが変わったのだから別にどうでもいいと思って、夫には伝えていなかった。そしたら、花見の当日、我家のお土産の1個がなくなってしまったことが気に障ったらしい。お土産がなくなったことそのことより、義母が注文書を書き直した段階で私が報告をしなかったことが彼の琴線にふれたらしい。気づかぬところで、私はこういう報告漏れがあるようだ。言われたら確かにそういうところはあるかもしれない。当然大きなことは報告するが、小さなことは確かに報告していなかった。小さな...と言ったが、その小さなことの基準が私の物差しで測っていたことは否めない。育った環境が違うのだから、お互いの物差しが違うことや、ごく些細なことが受け入れられないことがあるのは当然のこと。価値観が違うのだったら、「そこはこうして欲しい」と静かに言ってくれたならら改めるように努力するのに。激しく怒鳴って以後何日も口を利かないというのは、私には耐えられない。「嫌なところは治す努力をするから言ってほしい。ただ、そうやってだんまりで何日も怒っていられるのは止めてほしい」と伝えても、「腹が立っているのだから口もききたくない」とくる。

 私は、こうやっていがみ合うのが大嫌い。いがみ合ったり、大きい声を出したり、無視されたりすると、心がつぶれそうになってしんどい。静か~に穏やか~に暮らしたい。多分私も息子と同じHSP。だから、私はちょっとくらい嫌なことがあっても、いや随分嫌なことがあっても、黙って飲み込む。それは理不尽だよ~と思っても、何より私自身の心の平安の方が大事だから。

 お互いそれでは、何も解決しないとはわかっていた。嫌なところを冷静に言い合って、折り合っていくことはできないかな。これは彼と結婚してから30年ずっと思ってきたことだ。このままいつものように、長い長いだんまり無視の状況が続くのは耐えられないので、今回少し勇気を振り絞ってみた。「私はね、そうやって無視されるととっても傷つくのでやめてほしい」と。そしたら、「腹が立って話したくもない」と言う。それって、自分が腹が立ったことは、私に激しくぶつけて、私が傷つくのは構わないと言うことか⁈

 そこで、私も嫌な気持ちになることがないわけではなく、平和のために飲み込んできたことがあることを言わなければという気持ちが抑えられなくなった。決定的なタブーだということは分かっていたけど。「義両親にはずっとお世話になってきたし、一番時間があるのは私だから、お二人の病院に同伴するのは当然だと思ってはいます。でも、それが当然のことだとあなたや義妹には思っててほしくはないのだよ。お二人のことを一番知っておかなければならないのは実の子供達だと思うから。時には時間を作って、同伴する努力をしてほしい」と提案してみた。使う言葉にはとても注意したつもりだけど、言いながらみるみる彼の表情が変わるのが分かる。予期した通り地雷を、それもとてつもなく大きい地雷を踏んでしまったようだ。帰ってきた言葉は「わかったよ。これから先、全部同伴は年休取得して俺がやる」そう言って激怒。「わかったよ」じゃないよ!何もわかっていない!!!!!

 まあ、彼が怒っているときに話を切り出した私が悪いのは分かっている。でも、今言わなかったら、また新たな火種を、平和な時間に持ち越してしまうことになる。今まで私だって飲み込み続けた言葉はあって、「平和のために口にしなかったのだよ。私は平和な時間が何より大切なのだよ」と伝えたかっただけなのに、大失敗。そもそも30年もこのことを伝える努力をしなかった自分の落ち度だということは重々わかっている。でも、30年共に暮らした相手に、自分の気持ちをわかってもらえない虚しさ寂しさは大きい。

実母が鬱を発症して丸1年

 ちょうど一年前、実家の母が常軌を逸し、娘としてこの事態にどう対処してよいのか分からず大いに動揺し、本当に苦しかった。母の症状は激烈で、パニック障害のようでもあるし、統合失調症、またはレビー小体型認知症かもしれないと恐れた。どのような病気だったとしても、冷静に事態を受け入れて、良い病院を探し治療を受けるつもりではあったが、その病院探しは想像以上に難しかった。良いドクターを見つけることよりも、介護をする私たちが病気にならないように一刻も早く母をどこかに預ける、隔離することを何より優先してしまったことに、今でも罪悪感というか、後悔というか、割り切れない嫌な後味の悪さが残っている。本当にありがたいことに母は長い時間がかかったものの”怪物”から元通りの”人”に戻り、あの時の償いがまがりなりにもできているので、後悔も罪悪感も小さくて済んでいるが、あのまま、母がこの世界に戻ってこられなかったら、私はどれだけ悔やみ、自分を責め続けることになったことだろう。

 病気が落ち着いて、小さな有料老人ホームに入居を始めた頃の母は、一日が退屈で退屈で、辛そうだった。しかし退屈を紛らすためにテレビを観たり、読書をしたり、入居者の方同士でおしゃべりをしたり、週に一度の”歌を歌う会”に参加することすらできなかった。そして、「病院に帰りたい」と日々泣いた。それが徐々に施設の食事が美味しいと楽しめるようになり、施設長の方が母のために大幅に蔵書を増やしてくださった、施設の本棚の本を読み漁るようになった。今では、朝晩のテレビニュース番組は必ず見ているようだし、週に1度の”歌の会”にも参加するようになり、先日は自分でも人生初のカラオケをやってみたと言う。「カラオケの日は週1では少なくないですか?」と施設長に意見したりもするようになったと聞くから驚きだ。

 最近の母は、日々美味しいものを頂いて、大好きな読書三昧の生活に感謝をしつつ「これでいいのかね?一年前には草取りしたり、食事を作ったり、何かしら労働をしてたのに。全く労働なしに、本ばっかり読んでて気楽は気楽だけど、いつまでこうして生きていなくちゃいかんのかね」とぽろり

 誰かの役に立てなくなって、生きながらえる虚しさ、しんどさ、私もそう遠くないうちに感じるようになるのだと思う。そんなときに、どう励ましてもらえたら納得できたり、嬉しく思ったりできるのだろう。娘の私にとっては、”母が一年前のように病気で苦しんでいないこと”、ただそのことが本当に嬉しくありがたい。”私が嬉しいこと”、それだけで、”母が生きる意味”になり得るのだろうか。

ひらめきの事実

 義母が楽しく通っているはずのデイケア。最近、行く回数が週3に増えて、新たに加わった曜日は、どうもいつものメンバーと違うらしい。そのせいなのか定かではないが、「何か最近は爺さん婆さんばっかりいるんだよね。年寄りばかりの中にいて浮いてしまうから嫌だよ。話が全く合わない」とぼやく。送迎の方に伺うと、「平均年齢は変わらないはずなんですがね~」と笑っておられた。さて自分は何歳だと認識しているのだろう(笑)そういえば、私の大叔母も施設に入所した時によく「周りが高齢の人ばかりで話が合わない」と言っていたことを思い出す。実際その当時大叔母が施設の中で最長老だったはだ。友人のお母様も確か、デイケアに行くと周りが高齢の人ばかりで、歌を歌っても時代が違うしお話も合わず楽しくないとおっしゃっていたことを思い出す。年を取ると、認知症であるか否かに関わらず、自分は一番若いと感じるものなのか。

昔、子供たちの学校のPTAの会に行くと、私は自分が最長老であることがとても多くて居心地悪く感じたものだが、年を取ると私自身も周りが高齢者ばっかりだと感じるようになるのだろうか。そうだとしたら面白い。

 義母が新しく通うようになった曜日には、昔昔、40年くらい前、義母が通っていた日本舞踊の教室でご一緒した馴染の方がおられたようだ。義母の方は気が付かなかったようだけれど、その方は「日本舞踊の教室で一緒にお稽古してました」と義母に声をかけて下さったそうだ。その日は全く思い出せなかったようだが、数日してああ、あれは、○○さんだったと思い出したそうだからすごい。年を取って昔の記憶をたどるのは、とても良いことだと言うのは聞いたことがある。しかし、最近めっきり記憶が衰えてしまった義母が、40年も昔の踊りのお仲間を、しかもその方のお名前まで思い出したのは本当に素晴らしい。これを契機に日本舞踊をしていた頃のお仲間のお一人お一人を思い出し、その方々のことを楽しそうに語ってくださる義母の姿は輝いている。

 人間の記憶とは興味深いものだと思う。時には義母の繰り言を厭わず、じっくり聞いてあげるのが良いのかもしれない。数珠つなぎに記憶が戻ってきたら素敵だ。宝石のような逸話が聞けるかもしれない。

 

 

 

ひ孫の来訪

 一昨年の秋に結婚式を挙げた、義妹の娘夫妻に女の子が誕生した。かわいがっていた孫娘の赤ちゃんなので義母も喜んではいるはずだ。出産から1月半が経ったので、お祝い返しを持参するとともに、初ひ孫のお披露目のために義父母を訪問したいと連絡があった。その来訪の連絡の日以来、義母の調子が悪い。目に入れても痛くないような特別に可愛がっていた孫娘の来訪だというのに、どうしたことだろう。私に「体調が悪いから、来ないように電話して」と言う。いやいや、特段寝込んでいるわけでもないのに、私からお断りするなど、どう考えてもできない。どうしてか聞くと、要領を得ない。その子の母親(つまり自分の娘)から嫌味を言われるのが嫌だ、とか、以前彼女が妊娠中に義父母に会いに頻繁に来るので、母親から「流産したらどうするの?そんなに頻繁に呼びつけないで」と叱られたことがあると言うのだが、私の知る限りそんな事実はなかったはずだ。

 日中何度も「孫に来ないよう電話して」と言いに来る義母。「私から『来ないで』とは言えません。もし本当に来てほしくなかったら、ご自身でお電話してください」とお断りすること数回。来訪予定の時間が近づくと「本当にものすごく具合が悪いから、来るなと連絡して。頭が痛くてたまらないの」と言い始めた。臥せっているどころか、大好きな庭仕事を一日楽しんでいるというのに。あまりに何度も来るので、「わかりました。来ないでとは私からは言えないから、私の家の方に来てもらいますね」と伝えて、しばし時間稼ぎ。

 と、孫娘が赤ちゃんを連れて現れた。途端、自分から二人を迎えにすっ飛んで行って大騒ぎで「はやく、上がりなさい」と自分の家に招き入れる義母。おやおや、今までの強いイヤイヤは何だったのだろう。赤ちゃんがいる間中、上機嫌の義父母。ことに義母は「こんな小っちゃな赤ちゃんを見るのは何十年ぶりだろう。なんて癒されるのだろう」と大はしゃぎ。さぞ二人の訪問の後は疲れただろうと思いきや、けろり。とても元気そうだ。むしろ、午前中の不調が吹っ飛んで、すがすがしい表情。「赤ちゃんって本当にかわいいね。早くあんたのところにも赤ちゃんできないかねと繰り返す。

 もしかすると…日頃は一緒にいない孫娘に、自分が忘却の人であることを見せたくないのかな。つい最近お正月にランチ会で会っているので、みんなわかっているのにな。それにしても、彼女の義母の扱い方は本当に上手だった。「実家には帰って来たの?おうちまで車でどれくらいかかるの?赤ちゃん連れで運転して大丈夫なの?」「夜泣きをするの?」「おっぱい育児しているの?」この3つの質問を延々とループのように尋ねる祖母に、何度でも変わらない調子で根気強く優しく穏やかに答える彼女。見事だ。この素敵な繰り返し、義父や夫、義妹にもお手本として録画しておきたいくらい(笑)

 

 

眩暈対策

 義母がデイケアに行って、ある特定の介護士さんの顔を見ると眩暈がして気分が悪くなると言う。家で気分が悪くなることは無いと言うので、始終眩暈の症状があるわけではなさそうだ。しかし義母は脳血管障害による認知症だと言われているので、身体的に悪いところがないか、調べてみようと先ずはかかりつけ医へ。血圧正常、血糖値も問題ない。もう一つ怪しいと思っているのは、今飲んでいる薬。1ヵ月ほど前からメマンチンというお薬が10㎎から段階的に15,そして20㎎に増量されている。メマンチンの副作用を検索すると”眩暈”というのがある。もしかするとそれかもしれない。脳外科に事情を話すと、メマンチンの副作用は増量してすぐに出るはずなので、一過性の眩暈が出始めたのが最近のことならば、お薬の副作用ではなさそう、とのこと。ただ完全否定はできないので心配ならば、錠剤を半分に砕いて飲んでみては?と提案された。

 錠剤を半分に割って飲むというのは、自分のことなら難なくできる。ただ、お隣とはいえ、生活時間の全く違う義母のお薬を半分に割りに行くのは、何も用事のない日ならともかく、毎回と言われると無理がある。お薬は1ヶ月分を全部カレンダーに貼ってあるので、貼ってある分を全部はがして、割って、また貼り付けるとすると、お薬をパッケージなしのむき出しのまま貼るわけにもいかないから、小袋か何かに入れて貼るのか?これも合理的ではない。

 どうするか悩ましいところだが、まずは義母がデイケアに行く日の朝の分だけでも毎回、お薬を割りに通ってみるか?その上で、施設長に、事情をお話しして、しばらくの間、体を障るマッサージだけはできるだけ、当該介護士さんを外してみていただけるようお願いしてみよう。それと、義母の生活を見ていると、どうも水分不足の感じがあるので、できるだけたくさん水分摂取をしてもらうよう、声掛けをしてみよう。それでも良くならないようなら、また対策を考えよう。

ある特定の人を見ると気分が悪くなる

 義父母が離れる時間を増やすために、義母がデイに行く日を週2から週3回に増やした。義母のお世話になっている事業所は、リハビリに特化した施設。筋トレをして、理学療法士さんがマッサージをして下さる。事業所の雰囲気はとても明るく、スタッフの方々も親切で礼儀正しい。義母が通い始めて2年くらい経つが、今までは何のトラブルもなく、義父と離れられる数少ないストレス解消の時間だったはずだ。ケアマネさんが来てくださり事業者との再契約をするたびに義母は、もう契約が終了してしまうのではないかと気を揉み、「事業所に行けなくなるのは絶対に嫌だ」と話していた。

 それが…だ。事業所が企画した「お花見お出掛け」に行きたくないと言い出した。訳を尋ねると、スタッフさんの一人の男性が嫌なのだと言う。何かトラブルがあったのかと聞くと、「そうではない」との答え。その方は、義母の実家とすぐ近くから来ている方で、お話が弾むし、マッサージも上手で素晴らしいと言っていた人。嫌なことを言われたわけでも、嫌な態度をされたわけでもないらしいが、ただただ嫌なのだそうで、その方を見ると、眩暈がしたり、具合が悪くなると言うのだ。事業所の責任者の方には、「具合が悪くなるので、あの方のマッサージは受けたくない」と自分で伝えたらしいが、担当を外してくれたりはしないし、それどころかむしろその日から、送迎車の運転をその方がするように変わったと不服そう。

 さて、こういう場合どうしたものか。「デイの施設は星の数ほどあるから、他のところを試してみましょうか?」と尋ねると、「施設を替わるのは絶対嫌。そこへ行けなくなるのも絶対に嫌」との返事。さて、夢と現実の区別ができにくくなることのある義母。嫌な夢を見て、そのせいでその方が嫌になっているかだけかもしれない。でも、具合が悪くなるのなら、それを説明したうえで、施設長にだけお話しておくべきか。非常に悩ましい。